猿以下よ(女子高生の言葉より)

2年程前ですが、渋谷のセンター街て女子高生がテレビのインタビューに答えセックスの話になった時、ほとんど毎晩相手を取り替えてセックスをしている『猿以下よ』と、自分の事を話ししている姿を見て愕然としました。

人間も教育をしないと猿以下になるのだとその時は思い腹を立てました。自分の事を猿以下と云う事が許せなかったのです。

しかしながら今にして思うのです、人類はけして誉められた生命体では無いと。

地球は元々二酸化炭素の多い星だったそうです、植物が二酸化炭素を吸収し石炭や石油として地中深く埋没し、酸素の豊富な空気を作り生命体を生み出したのだそうです。

その二酸化炭素を再び放出し地球の温暖化や、フロンガスによるオゾン層の破壊など、地球を荒廃してしまったのが20世紀のような気がします

人類が過去に築き上げてきた人生哲学と言うか心に関する事柄を、化学とか合理主義(らくしたい)の名のもとに空虚なものにしたのも20世紀でしょう。人類は選ばれた「特別な生命体だ」との、うぬぼれのもとに

21世紀は暴走した20世紀の後始末に追いまくられ、一つ間違えれば人類の滅亡につながらないとも限りません。

人間の生活も大変に厳しく、激烈な競争社会になるように思います。

太平洋戦争当時、昭和18年頃には日本が負けると多くの人が思ったようです、しかしながら沖縄で敗れ広島、長崎の原爆を受けて始めて降伏したわけです、もっと早く降伏しておればあんな悲惨な目には合わなかった、とよく聞く言葉です。

しかしながら沖縄戦の頃から、関東平野に500万の上陸部隊の準備が出来ていたそうです、もっと降伏が遅れて関東平野が戦場になっていたら、もっと悲惨で復興も遅れたでしょう。

地球温暖化、オゾン層の破壊、何とかしなければとほとんどの人が思っているはずです。早く戦争を止めなくてはと思いつつも戦いつずけた昭和18年頃と似ているような気がします。

とにかく21世紀は厳しい二酸化炭素の排出規制と、激しい生存競争の渦の中にほんろうされるような気がしてなりません。

若い女性が肌合いで感じる事かもしれない、【猿以下】、と云う事を。

 


戻る