10代の思いで(座禅について)其の一

頂いたメールに座禅についての質問が 多く見られますので、その頃の事を思い出して述べてみようと思います。

今はメールで色々な人との出会いがあると思いますが、我々が高校生の頃は文通でした。高校生が好んで読むような雑誌に、ペンフレンド求めるなどの投稿欄がありまして、友人が応募したようです。その友人の紹介で私も文通を始めそれぞれが同級生でした、私は男子校で相手は北海道の女子校だったと思います。かなりの数の手紙のやり取りがあり、修学旅行で東京に来た時皆で合いました、その際私の文通相手のお姉さんが東京に住んでおられたようで、一緒に見えられたように覚えています。

大学生になってから、友人の文通相手が東京で生活するようになり二人で合っていたようです、どの程度の交際であったのかは知りません。いつの間にかその女性と交際するように成ったのです、どのようないきさつであったのか覚えていません。三人で合った記憶はありませんので彼女が私を尋ねて来たのだと思います。

私の初恋でした。大学1年から2年にかけて半年ぐらいの交際があったでしょうか、私の大学での親友に心が移ったのです。親友は拒否したようですが。

大学に入ってすぐに親しくなった友人です。喫茶店に入ってコーヒーを飲むと言う事がちょと大人になったような気分になれた時代です、授業がすむと毎日のように喫茶店に入りコーヒーを飲みながら人生論を語りました。180人ほどの同期の者がいましたが、そんな話が出来るのは彼だけでした。まあ仲間と言える人が4,5人程いたでしょうか、いつの時代でも親友と言える気の合う人とは宝だと思います。

親友は大変に心配し相談と気配りに多くの時間を割いてくれました。一浪していて年上でもありましたが学業も良く、絵を描く事を趣味とし音楽なども好み感性豊かな筋肉質のスリムな男で、当然女性のフアンも多かったです。喫茶店で人生論を語っても、ほとんどの場合彼の理論に納得させられる日々でした。これは後日談ですが、納得させられた事柄も1ヶ月程後に全然違った方向からまた議論が始まるらしいんです、でも結局また納得させられてしまうんですが。そんな事の繰り返しだったらしいです、その一つ一つに嫌がらずに付き合ってくれた彼はたいした者だと思います。彼は剃刀の様は切れ味の鋭い男でした、それに比べ私は鈍器で切れ味は無いのですが、粘りは人一倍あったようです。そんな正反対の性格が幸いしたのかもしれません。女性からの視線も正反対でした。

私が恋をした女性は、高校の友人の交際相手でした、そして私と付き合い、大学の友人へと心変わりした訳です。確かに当時は高校の友人よりは私、私よりは大学の友人の方が男としてレベルが上だったと思います。ですから当然と思っていましたし、自分がやった事と同じ事をやられた訳ですから、自分の中に反省しかありませんでした。ただ大学の友人は拒否した訳ですから、私とは比べ物にならないくらい差があった事は事実です。ですが、恋をすると言う事はそんな道徳論ではどうにもならない気はしました。

そんな友人に支えられながら、人を愛する事とは、がテーマになり人生論を遣り合いました。細かいいきさつは忘れましたが自分の中では、人を愛する事とはその人をそのままの形で受け入れ全てを許す事、という結論になったのです。そして許せるかどうか疑問を持った段階でもはや許して無い事になるのだという事も。

心というものの追求の中で、人の行為ですべての人が否定するものは何かと考え、戦争を取り上げました。戦争というものを無条件で受け入れる人はいないと思ったのです。戦争の原因は人間の慾という事になっていく訳です、慾というものを否定した結果,三大慾の食欲物欲性欲の全てを認めず生きる事を否定し、死こそ完全な姿だと思った事もありました。が、慾の原点は我であると思うようになり、我を超える所の無我を求めようとしたのです。この辺の心の変化を細かく言い出すときりがありません。

無我というものを色々な本で追求したのですが自分なりの結論を出せず、結局座禅を組むという行為になっていった様です。福井県の永平寺にいけば座禅を組めるという情報がなぜか入っていました。がもっと身近な所で組める所が無いかと探した事を憶えています、結局鎌倉の円覚寺に行き直接お願いした所、学生を中心とした5日間の座禅会があるからそれに入りなさいと言われ、それに参加したのです。

次回にします。


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