もう一つの失恋

過激な文章が続いたのでまた柔らかい話をしましょう。

23才の5月頃の出会いだったと思います。20才で座禅を組みましたが、その後、そういった時間もなく、日常の生活の中でなんとか座禅に近い心境になれるものはないかと始めたのが茶道で、若者が集まりお茶を立てるグループに入り活動しました。その茶道のリーダーの彼女の従姉妹で紹介されたのです。直接お茶とは関係のない人でしたが。

詩を書く人でした、、彼女の言葉に酔いしれていたように思います。彼女は友達と二人で部屋を借りていました、そんな気安さもあって彼女の部屋に入り浸っており、彼女のベットで2〜3時間寝てしまう事もしばしばでした。そんな夏の夜中の2時頃、突然、【海を見たい】と言うのです。好きになった女性の言葉には男は弱いものです、

さっそく車で海に出かけた訳です、千葉の片貝海岸だったと思います、その行きの車中の出来事ですが、彼女の手の甲に蚊が止まったのです。その蚊はきっとシマ蚊だったんだと思います、じーっと見ながらつぶやくのです、【この蚊、モーニング、着てる、これから結婚式にでも行くのかしら】、と。

又、伊豆にドライブに行った時の事です。西伊豆の海岸線の道路が山の中腹にあるあたりで、林の間から崖のように海を見下ろす所があるのですが、そういった所を走っていると、突然、車を止めてと言い、【ねえねえ、見て見て、手を入れたら染まりそう】と、海を指差しながら言うのです。

今でもこの二つの出来事の状況と言葉の響きは心に残っています。そういった言葉に酔いしれていたように思います、と同時に自分自身が彼女の豊かな感性を受け止めるにはまだまだ力不足で、彼女の言葉に振り回されるために自分の生活が乱れてどうにもならなくなっていたのもまた事実でした。23才で国家試験を前にインターン生活をしている身としては、彼女との時間は大変な負担である事は事実でした。夜中に東京を出て海を見に行き帰ってくれば当然朝です、そのまま病院に行き患者さんを診療する訳です。そんな事が続けられる訳がありません、当然乱れてくるわけです。

好きになったら、恋愛、結婚、家庭、子供と一連に考え、自分の力で彼女を幸せにするのだ、と考えるのが当然な時代の事です。まだ何年も歯医者の修行をしなければならないであろう自分には、彼女との時間が大変な負担である事は事実でした。どうしたら良いか分らず赤提灯で飲めない酒を飲みながら声を出して泣いていました。そんな酒に付き合ってくれた友人がいるのです。その友人との出会いもまた不思議なものでした。

それより2年ほど前の事でしたが、実習の制作模型のていしつ物が盗まれたのです。盗んだ人はそのままていしつしたために当然な事に見つかりました、その人が友人の仲間だったのです。私には怒りの感情は特に無く、制作模型を盗むなんて余程の事なんだろうという気持ちで友人の所に行き、今一番苦しんでいるのは君の仲間だ力になってやれよ、という言葉を投げかけた事は良く覚えています。

座禅を組んでまもなくの時期だったと思います、その友人と二人で酒を飲みながら話しをする機会があり、座禅の話しをしたようです。うっすらと憶えはあるのですが、後で彼に聞いた話しです。その時、彼には大変に嫌な男にみえたようで嫌われた訳です。

それがこの事件のお陰で彼とは大変に親しくなれた訳です。何が幸いするか分りません、人生不思議なものです。盗んでしまった彼は40才の頃亡くなってしまいました。その少し前に同期会があったのですが友人が強引に彼を呼び出したのです。驚いた事に彼はガンの末期の状態でした、もちろん彼が口にした訳ではありませし、誰も触れませんでしたが、それぞれが心では分っていたと思います。会を流れながら、最後に我が家に来て5人ほどで酒を飲み別れました。約半年後に亡くなり、奥さんに会い話しを聞きましたが、やはり心残りであったらしく、我が家で酒を酌み交わした事を喜んで語り続けていた、と言ってくれました。

彼女と知り合って間もない頃、彼女と彼女の同居人や友人を含め5人ほどで、谷川岳のそばにある彼女の知り合いのペンションに泊まりに行った事があるのです。若者が仲間でドライブするのですから、大騒ぎをし楽しく過ごしたとは思うのですがほとんど憶えておりません、その頃は彼女がそばにいてくれるだけで満足だったんだろうと思います。帰り道、日光の方に抜ける林道をあえて通って帰ってきたのですが、その途中に当時としては珍しい露天風呂のある古びた宿屋さんが目についたのです。

秋も深まった頃です、彼女が突然あの露天風呂のある宿屋さんに行きたいというのです。何とか二日ほど時間を空け出かけました、当時、彼女の言葉は私にとって絶対的な響きがあり、どんなに忙しくとも何とかするエネルギーが生まれてしまう、恋とは不思議なものです。

夜に東京を出て新潟に向いました、日本海の海が見たいと言うのです。30年も前の事です、高速道路も無く一般国道を走ったのですから大変です、それに雨がけっこう降っていた記憶があります、それでも何とか明け方に海に着きました。雨はあがっていた様に思います、私は仮眠を取り休憩を取りましたが、彼女は海を見ながら鑑賞にひたり詩を読んでいたと思います。かなりの時間をそこで過ごし、あの露天風呂のある宿屋さんに向かったのです。

私は運転をしながら今晩をどう過ごしたらいいのだろう、と言う想いで頭の中がいっぱいでした。好きで好きでどうしょうも無いのは事実なのですが、結婚して幸せにするという自信が持てないのです。これから何年も続くであろう歯医者の修行をしながら、彼女との生活をする自信がどうしても生まれてこないのです。私も男ですから、彼女を抱きしめ肌を合わせたいという気持ちは十分にありました。しかし、彼女と結婚をし幸せにするという心が出来上がらない以上、それは単なる欲望でしかないという想いで、自分が許せなかったのです。単に欲望に負けるのは情けないと思いましたし、それ以上に彼女に失礼だとの想いでいっぱいでした。

それでも夕方前に宿屋さんに着いてしまいました。とにかく部屋にとうされ夕食をすませました、それまでのあいだの記憶は何もありません、何も憶えてないのです。食後それぞれに大きなお風呂に入りに行きました。部屋に戻ってみますと食卓は片づけられ、布団が二つ並べて引かれているのです。私の方が先でした、とにかく一つの布団にもぐり込みました、いつのまにか眠ってしまったのです、彼女が戻ってくる前に。運転の疲れもかなりのものだったのだとは思うのですが。夜中に目を覚ますと彼女の寝息が聞こえました、彼女の寝顔をじーと見ていたのを憶えています。そんな訳で彼女の手に触れる事も無く一夜を過ごしました。

帰りの天気は日本晴れでした。【帰りはご機嫌ね、来る時はあんなに不機嫌だったのに】、彼女の言葉です。帰りは良くおしゃべりした様なのです。私は単に自分の欲望に負けなかった、彼女を大事に出来たという満足でいっぱいなのです。23才の男として当時としても大変に幼い恋だったと思います、その時彼女と肌を合わせていたら私の人生に違いが生じていたでしょう、まるで違った人生を歩んでいたような気もします。でも精一杯考えより良い道を選ぼうとし、自分の心により忠実にそして正直に行動しようと勤めた事は事実です。

今ならば一人よがりの自己満足以外のなにものでもないと思えますが、当時の自分としては彼女を大切にする精一杯の行動だった訳です。当然の事ながら、その後彼女とは何となく疎遠になっていったようです。その後の事は良く憶えていません。彼女の手にさえ触れる事は一度もありませんでした。

自分の能力に忠実になり、心により正直に生きようとする事も、人を傷付ける事もあるのだという事ですね。その後40才後半まで、彼女と肌を合わせる事無く一夜を過ごしたという事を、心の何処かで自慢していたというか、少なくとも満足していたように思います。でもそれは女性という者を知らないはなはだ幼い男の行動だと思えるようになったのもつい最近の事です。あまりに偏った考え方も大きな意味で身体障害者なのかもしれません。

人とはいくつになっても未熟な者です。無意識のうちに他人を傷付けたり迷惑をかけながら生きているものです。だからこそ迷惑をかけない様に心して生活しなければいけないのでしょう、でも他人を傷付けず迷惑もかけない人生なんてこれほどつまらない事も無い様にも思います。そういうわがままがいえる人が少し自分の回りにいるのが良いのかも知れません。まあ難しいものです。

基本的には人を傷付ける事の原点は自分の能力の低さであり心の狭さであるわけですから、より能力の高い心の広い男にならねばならないと、つくづくと思う今日このごろです。

 

 


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