お金を稼いだ話し(其の二)

続きです。

神奈川県のある大きな団地の中のマーケットの一室で、前が幼稚園になっている所です。幼児のう蝕予防にも興味があり、幼児の歯科治療をやってあげたいという気持ちも、積極的にありました。まだ子供の治療は嫌がるのが一般的な時代でしたし、小児歯科として専門医としての医療行為をするのが当然の時代です。私の最終目的は予防医療でしたから、どうしても子供の医療に取り組みたいという気持ちが強かったのだろうと思います。

2階の一室で40坪の広さが有り、東南のかどで大変に日当たりの良い、環境的には申し分の無い所でした。ここに診療用の器械を8台並べて始めた訳です。

治療室の中央に洗浄や消毒の水場を設け、その回りに頭を中央に向け4台ずつ並べ、術者の動く動線を極力少なくし、能率を上げる事の一つにした訳です。また、患者さんの椅子に座る時の入り方も外側から入るようにし、術者との交叉が絶対に起こらない様にして、私の動きを妨げない様にした訳です。補助者の方は私の動きは十分に分っておりますので、私の動きを妨げる事はほとんど有りません。その点、患者さんは私の動きは分りませんので、ぶつかる可能性が高い訳です、その気使いだけでもかなりの負担になる訳です、私は注射針や刃物を持ってかなりのスピードで動き回る訳ですから。このように物理的な事柄で合理的に解決できると思われる事は、可能なかぎり極力表現しようとしました。

問題は患者さんの気持ちをどのようになっとくして頂くかと言う事でした。まず、補助者に私の考え方を徹底的に伝えました。まず私が補助者に伝えた事は医師法に触れる行為は絶対にしてはいけないと言う事です。法律はどんなに些細な事であっても破ってはならないという事です。

日本の法律は大変不思議なもので完全に守るという事は大変に難しく出来ているのです、たとえば道路の制限速度があります、しかし制限速度を守って走っている車は100%無いといっていいでしょう。玉虫色というか何事もそこそこに守ればいいという発想が国民の中にもあるように思えるし、また現実にすべての車が制限速度を守ったら、経済が成り立たないでしょう。そういう意味では実に不思議な国です。

医療の中でも玉虫色の部分が少なからず有るのです。それを一切やらないと言う事は経営的にはかなりの負担になりましたが、それを徹する事によって襟を正して取り組むという心には大変に役だったと思います。

次に日常に行なわれる治療内容の知識をほとんど与えました。ですから私が目的としている治療結果が得られない時などは、全て補助者に分ってしまう訳です。これは私にとってもかなりのプレッシャーになる訳ですが、自分の襟を正す事にもつながった訳です。

初めての患者さんが私の診療所に入ると、まず目に着くのが待合室の壁に張ってある文章です。一昔前に中国に壁新聞というのが盛んでしたが、そういった感じのものでした。内容は正確には憶えていませんが、健康保険ですべての治療が出来るという事、私は特別な時以外は話しをしないので補助者から説明を受けて頂きたいという事、とにかく一番いいのは予防だから健康管理すなわち歯ブラシの指導を受けてほしい事などを細かく書いたように思います。補助者の中に文章の上手な人がいて、私が口頭で言った事を上手にまとめてくれたように憶えています。

次に、著者は忘れましたが、【虫歯にならないための本】というのがあったのです。内容はそれ程の本ではありませんでしたが、特別間違った事も書いてありませんでしたので、この本を20冊程買い求め待合室に置き読んでもらいました。歯医者の待合室に虫歯にならないための本というのは大変に受けたようです。

言葉で言うよりも活字にすると信用するというか、日本人は活字に弱いという印象を受けたように記憶しています。待合室だけでかなりの衝撃を受け、かなりの洗脳をしてしまったようです。

初診の患者さんとして診療室に入ると診療椅子が4台づつ並列に並び、向い合わせに計8台が並んでいるうえ、その中を私を含めて治療行為をする8人の者が飛び回っている訳ですから、また度肝を抜かれる訳です。後に親しくなった患者さんが言ってくれたのですが、診療室と言うよりも虫歯の修理工場のようだと感じたそうです。まさしくそんな感じでした。

診療椅子に座って初診をしますと、多くの場合レントゲン写真を撮影する必要があります。当時としてはまだそれほど普及していなかったオルソファントマと言う大きな器械を備え、大きな一枚のフイルムで撮影しました。今でこそ見慣れた光景でしょうが、当時としては珍しかったと思います、これも能率を上げるための物でしたが、同時に患者さんに驚きを与える結果になったようです。

フイルムを見ながら診断をし、説明をする訳ですが、患者さんの目の前で補助者に説明をする訳です。患者さんへの説明は補助者にまかせ私は次の患者さんの治療を始める訳です。私は患者さんの治療をしながら補助者が初診の患者さんに正しく説明を伝えているかどうかを聞き耳を立てている訳です。ですから補助者には大きな声で説明をさせました。当然の事ながら他の診療椅子に座って待っている患者さんの耳にも入ります、本来は医療行為は秘密でなければいけないのでしょうが、自分と同じ注意を受けていると思い安心したとの声を多く聞きました。

私が行なった治療内容と結果も秘密にしないばかりでなく、患者さんの口腔内の病気の状態も秘密にしないという、型破りな診療室でした。現代社会では受け入れられない形態でしょう、その時代その時代に適した形態がいつの時代にもあるように思います。そんな型破りな診療室での10年間で3度の医療ミスをしています、もし裁判になれば完全に敗北したでしょう。

次回にします。


戻る