スポーツクラブで思うこと

  スポーツクラブでトレーニングをする様になってそろそろ2年になりますが、その間自分の体も変化しましたが、周りで変化した人も多くみられます。中でも特に印象に残っている方がおります、一度も言葉をかわしたわけではありませんが、その姿が特に印象に残っているのです。

  その方もほとんど私と同じ時期にクラブに入られて、トレーニングを始められたのではないかと思えます。20歳前の女性と思うのですが、その当時は相当に太っておられて、その上お臍を出したユニホームでトレーニングをしており、その姿は正直に言って見苦しく、せめてお臍ぐらい隠せよと内心思っていました。その上顔とてけして素適とは言いがたい容貌なのです。

  ところが2年後の今はかなり体もすっきりし顔もなかなかチャーミングになってきているではありませんか、まだまだ十分とはいかず、発展途上である事には違いありませんが、これからますます素適な女性になるであろう事は十分に想像できます。

  私とて子供の頃から虚弱体質で胃腸が弱くすぐにお腹を壊すという状態で、ますます萎縮した生活を送っていたように思います。20歳の頃は身長175cm体重53キロというまさにガリガリという状態で、胸はあばら骨がむき出しのような姿でした、40歳ぐらいまでこのような姿であり、その上歯医者という職業柄前かがみになる姿勢が多いため自然と猫背になり、そのみすぼらしさははなはだしいものであったろう事は想像にたやすいと思います。ただ手だけは指が非常に細く器用そうな、まさに歯医者向きの手で、これだけが唯一自慢の物でした。

  38歳の10月にテニスクラブに入ることが出来、なんとなくスポーツという物に接する機会を得るようになり、汗を流した結果、多少体型も変わり、それ程貧弱ではなくなりましたが、テニスの事に関しては私の人生に大変な影響を与えましたので、あらためて書かせて頂きます。

  53歳の2月にとうとう腰を痛めてしまいました、もちろんテニスのやり過ぎです。整形外科やその他色々な所で診断を受けたのですが、結局は筋肉のバランスの崩れだという事になり、スポーツクラブに入り筋肉トレーニングを始めたわけです。それまでも多くのテニス仲間から筋肉トレーニングをする事を勧められてはいたのですが、そのようなしんどい事はする気持ちにはどうしてもなれずにいたのです。が、テニスをやりたい一心で取り組んだわけです。

  その時の体重は68キロありました、ただしかなり脂肪があったようで、お腹の周りはだいぶ膨らんでいました。若い方と一緒に鏡の前でエアロビクスまがいの事を二度ばかり行なった事があるのですが、その時、鏡に写る自分の姿をみてこれはまさしく亀だなと思い、それに比べ若い人はまさしくイルカであると、その差の激しさに愕然とした次第です。

  その後、二年弱たちましたが今は62キロ体脂肪率17%のそこそこの体になりました、鏡の前に立ってもさほどみすぼらしく無くなったというよりも、かなり見られる体になったと思います。夏頃はいつも頼んでいる美容師さんがいたずらに髪の毛を金髪に染めたのですが、その上赤い短パンをはいてトレーニングをしている後ろ姿は、20代と言って頂いたのでまんざらでは無いのだろうと思います。もちろん、後ろ姿に限っての事ですが。

  今、自分の理想とする体型は175cm68キロ、14パーセントであろうと想像し、これを目標にトレーニングに励んでいます。もちろんこれは日常生活をする為の目標値ではなく、あくまでテニスプレイヤーとしてのこだわりである事は申すまでもありません。自分の肉体を最高の状態にしてこそ最高のテニスプレーができるのだと確信しているわけです。

  もう4年ほど前になるかも知れませんが、たまたまバレエを鑑賞する機会を得まして(義理で招待されたのだと思います)特別進んで行った訳ではなかったのですが、このとき男性の筋肉美に大変に激しい感動を受けたのです。私は素人ですからその技術的違いなど分かろうはずもないのですが、3組のペアが同じ踊りをしており、男性の方が上半身裸、下半身タイツ姿だったのです。その中の一人の方だけが大変に鍛えられた筋肉であったのです、後二人の方は普通の身体つきでした。同じように踊られていてもこちらに伝わる感動が異なるのです、まさに十数年間にわたって鍛えられた時間と共に今の数分間があるように思えたのです。この時以来男性の躍動的な筋肉美のとりこになったと共に、よくバレエを鑑賞する様になりました。

  20世紀は人類の生活を大変な勢いで変化させた時代であったわけです、そのもっとも原動力になったのは合理性の追求ではなかったかと思うのです。合理性と言う言葉の響きは良いのですが、ようは楽をしたいという事から始まり究極は怠け癖につながっていってしまったように思うのです。確かに初期の段階では大変に役に立った発想であり、我々に多くの恵みを与えてくれたようにも思います。が、行き過ぎてしまい大変なマイナスの作用をしてしまっているのが現実ではないでしょうか?同じようなものとして医療用の薬があり、これとて多量になれば毒となるわけですし、又食料保存用の防腐剤とて同じ事が言えるのではないかと思います。

  我々は人工的に改良された生活体系の中で、生命体として元々与えられてきた多くの能力を麻痺させながら、はなはだ怠惰な生き方にどっぷりと浸り不平不満を並べ立て、自らの責任というものにいかにして回避するかという事に執着しているように思うのです。

  健康というものに対しても、医者任せで時々人間ドックとやらに入ってお茶をにごしたり、あるいは美しさというものに対しても、化粧品や補正下着に頼るという、本来の本道から外れた形でらくをするという事が主体の生き方に流れてしまっているように思えてなりません。

  合理性の追求という頭脳というか思考性の追及のみを行なってきた結果、頭の発達は大変なものがあると思うのですが、それに引き換え感性というか五感で感ずる能力の衰えははなはだしいものがあると思うのです。我々が元々神から与えられた能力のほんの数パーセントしか使っていない様に思えてならないのです。

  人間が立ち上がり二足歩行ができるようになった最大の要素は、片足でほとんどの事を支えるだけの機能を身につけた事だと思うのです。王現監督が現役だった頃一本足打法というものを編み出し、大いに活躍をして人気を得ましたが、昔の人であればあのぐらいの肉体は多くの人が持ち、片足で動作する能力は持っていたように思うのです

  歯医者だった頃、子供が転んで前歯を折って急患で来ることがありました。これなどは幼児期に飛び回り転んだ経験が少ないために、転び方が下手なためにおきた事故だと思うんです、上手に手をつけばなんでもないものを、その事故の原因追求に躍起となっている母親の姿をよく見かけました。これなども危機管理能力の低さだと思うのです、危険などいつどこから襲ってきるか分かりません、それを上手に回避する能力こそ必要な事柄では無いかと思うのです。

  頭脳の上でも同じような事が言えるのではないかと思うのです。他人に指示された事やマニアル通りの事でははなく自分自身で判断しなくてはならない時に、自ら決断し行動することも頭脳の危機管理能力だと思うんです。

  個人に身長差が有るように本来持っている能力にも多少の差は有るのかも知れません、しかしながらオリンピックでもでようとするのならともかく、日常生活においての事柄に能力差などというものはほとんど微々たるもので、本来持っている能力の発揮の度合いに過ぎないと思うのです。この度合いのパーセントの高い人こそ他人に素適な感動を与えられる人なのでしょう。ただ容貌の整っている人は能力を引き出しやすい有利さがあることは事実でしょう、ですが全ての人が素適な人になりうるのもまた事実だと思います。

  21世紀は人間本来の生命体としての能力を振り返り、これを尊重し、健康とか美しさというものへの発想も転換し、生活体系の根本から考え直した生き方に取り組む必要が生まれてくるのではないかと思っている次第です。スポーツジムで化粧もしないで汗を流している女性に最高の美しさを感じ、なんとも言えない魅力を感じているのは私だけでしょうか?


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