テニスとの出会い(1)

  私の人生にテニスほど影響を与えてくれたものはないといっていいでしょう。これ以上に強い影響を受けたものはと聞かれたら奥さんと答えると思います。

  初めてラケットを握ったのは定かではありませんが32歳の頃だと思います。企業内診療所に勤務していた頃です、今にして思えば私の人生の中で一番時間的に余裕のあった時でした。子供の幼稚園の時に知りあい、家族ぐるみで付き合った五家族があるのですが、その中に大学の時からテニス部でやられていた方がおり、その方の勧めで奥さん方が始めたのです。それにつられて私も多少ラケットを握ったのです、もちろんテニスなどと言えるものではありません。

  33歳のときでした、今在籍中のテニスクラブに会員の募集があったのです。今と違ってテニス人口が増えつつあった時なのでしょうね、すぐには入れてもらえず抽選で順番待ちだったのです。紹介者もあり取れあえず申し込んだのです。ところが入会の通知が来たのは38歳の夏頃で、10月より会員にしてくれるというのです。5年間の空白がありもう忘れていました。

  これも不思議な巡り合わせです。すぐの入会ならともかく、3536歳の頃は新たな開業でいそがしくしていましたのでテニスなどという物に目もくれなかったでしょう。それが一段落した頃に忘れていた通知が来たのも縁というものだと思います、これを逃すといつまた入れるか分からないという事もありましたので入会する事にしました。その後一年ほど遅れて家内も入る事が出来ました。

  この時まで、多少の人生経験はあったとしても基本的には大変に恵まれていたのだと思います、人から相手にされないという経験はした事がありませんでした。中学高校時代はただおとなしいだけのはなはだ目立たない男でしたが、だからといって特別不満とか不自由を感じた事も無かったようです。武者小路実篤らの白樺派の本を好んで読んでいたようです、本は読んだ方ではないでしょうか。

  6年間の歯科大での学生生活のあと、24歳で人から先生と呼ばれる立場になりました。とは言え社会的には何も知らない、ただ単に歯科に関する事を多少知ったに過ぎない若造を、人は先生と呼ぶのです。でも不思議なものです、人間は先生と呼ばれるとその気になってしますのです、自ら未熟者だと自覚しながらもいつのまにか先生になってしまっておりました。

  いつの間にか自分よりも立場の弱い人しか周りに存在しなくなっているではありませんか、常に私に気を使い私を立ててくれる人の中に囲まれて、はなはだ楽な生き方をしていたようです。そういった現実さえ分からず、テニスクラブでも当然全ての人が声をかけてくれ、仲間に入れてもらいテニスを楽しめるものと、何の疑いも無く思っていたのです。

  当然の事ながら誰からも声をかけてもらえませんでした。そこはテニスクラブです、テニスを楽しむところです、ろくにテニスの出来ない者は相手にされないのが当然なのです。この最もあたりまえの事が納得するまでは、テニスの上手な人はなんて冷たいのだろうと思い、嫌な世界だなという感情しか湧かなかったのも正直なところでした。

  元プロのテニスプレイヤーもいるクラブです、ですから技術的レベルはかなり高い人も多いクラブです。ですが当然のこととしてはなはだ未熟な人もいます、ですが私にはその区別すらできなく、すべて上手い人でした。私のテニスのレベルが分かろうというものです、そんな状態でよくテニスクラブに入ったという方が正解かもしれません。

  これは後日、思った事ですが、世の中で力が無いと言う事はこういう事かと思い知らされました。お金に困った人が老人からお金を奪ったなどとテレビなどで報道されると、ゲストのかたがたが、なぜ社会的弱者の老人からお金を奪うのかというコメントをされますが、本当に追い詰められると全ての人が金持ちに見えるものだと、この時思い知らされました。

  籠にたくさんのボールを入れ、ただ黙々とするサーブの練習や、壁に向かってひたすらにボールを打つ日々が続きました。ただ先に述べた家族ぐるみの付き合いをしてくれた方だけがゲームの相手をしてくれました、当然の事ながらゲームの形になってない、テニスの形態をしていない状態の相手をして下さった根気に、今にして頭の下がる思いです。

  それでも少しずつ上達したようです、もちろんテニススクールやコーチなども頼み練習もしはしたのですが。三年目ぐらいになるとそれでもやっとシングルスの相手をして下さい方が一人だけ出来ました、当然の事ながらいつも一方的に負けるという形の試合が続くわけです。それでもその差を縮めながら互角になるのに半年ぐらいだったと思います、そうすると仲間が5人ほどになりました。

  テニスクラブに入りその仲間からクラブ員として認知され、その仲間に入れてもらうために三年の月日がかかったという事です、それも一番の末席にですが。「石(意志)の上にも三年」という言葉がありますが、初めてのことに取り組んでそれなりに形を作り上げるまでに三年の月日がかかるという事の見本のような気がします、それとて入り口に過ぎない事ですが。

  10年間は自分のやれる事をやってきたテニスのような気がします。38歳の時は体重53キロでしたからほとんど筋肉というものが無かったといっても過言では無かったと思います、ですからとにかく走り回って返すだけのテニスで、とにかく一本でも多く返そうという意志しかなく、仲間からは拾いや乞食テニスと言われた次第です。相手のミスを待つというだけのテニスでした。

  さすがに10年間も同じスタイルの事柄を続けると頭打ちになるようです。10年間はクラブの仲間を一人ずつ抜いて上位に上がってきたのですが、ここで止まってしまったのです、どうしてもその事に満足できず、伸びつづけるための模索が始まったわけです。自分の出した結論は、「テニスの基本はフォアーである」、「強いフォアーを打つためのフォームの改造」、という事でした。

  50歳の頃です。この年で基本を変えるという事はやはりきちがいとしか言い様がないと思います、もう無謀といって良いでしょう。でもそのときはその誘惑に負けたのですね、というよりも無知がさせた事柄といった方が適切かもしれません。スポーツというものの原点が分かってなかったからいどめた無謀な挑戦だったと思います。

  基本を変えるという事はその時点では明らかに実力は低下するという事です、そして改造が上手くいき実力が上がるという保証はありません。と言うよりも失敗しフォームがバラバラになり収集がつかなくなる可能性の方が高いかもしれません、若いときならともかく、この年でそのような事柄に挑む必要性を考える方が妥当というものでしょう。

  事実その時点では実力が低下し、勝てた相手にも負ける様になり、相手にしてくれなくなった仲間もいます。その辺ははっきりしたものです、しかしそれは当然として受け止めながら、がむしゃらに改造に取り組み練習をし続けました。53歳になりたての2月にとうとう腰を痛めてテニスが出来ない状態になってしまいました、筋肉疲労をひどく起こし回復できない状態になったようなのです。

次回にします。


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