IT社会は日本人には不利のような気がする

  太平洋戦争において、個々の武器においても日本は遅れをとっていたように思いますが、致命的な遅れは情報というものであったろうと思うのです、その代表的な例はレーダーであろうと思います。が、レーダーに限らず色々なところから集まる情報というものに対して、的確な判断を下し迅速な行動をとると言う事に関しては、はなはだ苦手な国民性があるようです。

  日本の歴史の中でもそのような傾向が見られるのは、織田信長や豊臣秀吉に代表される戦国時代といわれた人々の中に、多少見られるに過ぎないように思うのです。この時代は優秀な武器を調える事も大切であったでしょうが、より多くの情報を集めより的確な判断を下し、迅速に行動した者のみが生き残っていったように思うのです。

  この二人のほかに武田信玄、上杉謙信、毛利元就、等そうそうたる武将の名前が挙げられ、最後に出てくるのが徳川家康という事になるのでしょう。これら全ての武将の共通した点は決断力の天才であったという事であろうと思うのです。一個人の責任において全てを全うし迅速な行動をとると言う点においても共通しているように思います。

  これにまさしく反対なのが、豊臣に滅ぼされた小田原の北条一族であろうと思います。豊臣に攻められた時一週間にわたって軍議を繰り返し、結果ほとんど作戦という物が決まらず、ただ単に時間を浪費しただけに終わり、以後の笑いものになって語り継がれているわけです。多少の誇張はあると思いますが、これなどはトップの決断力の無い哀れさだと思うのです。

  太平洋戦争当時の軍部の中枢も小田原の北条一族と同じような状態であったのではないかと思うのです。戦いというものは常に天才的なリーダーによる的確な判断と行動力が一番大切なわけです、これはあくまで結果論ですが、あの戦争を誰がやり誰が指揮したかというはっきりとした責任者がいません。でてきた言葉が一億総懺悔という事になったのではないでしょうか?

  明治時代からは地球全体が戦国時代に入ったのでしょう。その初期は何となく日本に運が向いていたのだろうと思います、戦い方も又相手もそれ程情報や判断力の割合が少なくてすんだ時代でもあったようにも思います。時代とともに行動力も迅速になり規模も拡大する事によって、より中央の判断力と指揮能力が重要となっていったのではないでしょうか?

  太平洋戦争後の経済と言うことにおいても、初期の物作りという時代においてはまさに日本人に適した環境であったと言えそうです。その頂点が大量生産の大量消費の時代でしょう、同じ物を皆が一斉に作ると言う事は隣の人と同じ事をすれば良いわけですから、農作業と同じです。農耕民族であった日本人にとって最も得意とする分野であったわけです。

  当時、消費は美徳だと言う言葉すら生まれました。消費とは消えると言う字が入っていますが、多くはゴミとして残していく物だろうと思います。戦争でも大変な破壊と共に大量のゴミを排出しました、同じように大量生産大量消費と言われた時代の生活からも、自然破壊と大量のゴミを排出し、環境汚染という地球への新しい言葉を作ったのが20世紀と言う事になるのでしょう。

  いまや産業も多品質少量生産の時代となりました。それぞれがバラバラに色んな物を作っていくわけです、人の真似をしても何の意味もありません、独自の判断で少量に生産し少数の人に受け入れられれば良いと言う作品を作らねばなりません。この作業は農耕民族としてははなはだ苦手な分野なのです、とにかく同じ事をするのが良いとされて来た民族なのですから。

  農作業時に人と異なった行為をする人を「村八分」と言葉を作り排他したのだろうと思うのです。これも農耕と言う事を考えればうなずけない事もありません、米作りに上手下手といってもたかが知れていると思うのです、それよりも和を乱すという事の方が大変なマイナスになったのでしょう、そういった遺伝子をことごとく排除していったのだろうと思います。

  独自の発想をするという事が大変に苦手な民族になっていったのだろうと思うのです。その上変化の激しい時代です、この波の中を泳ぐという事も又初めての経験でしょう。もう2〜3年前のことになるかも知れませんが、タマゴッチというゲームが爆発的に売れた事があります。一時は品切れで店頭に大変な行列を作ったことさえある商品ですが、ブームが去ると同時に多量の在庫を抱えて、この会社は倒産してしまったとのうわさを聞いたように記憶しております。これなどは撤退の時期というものを誤った、リーダーによるところの情報の収集と的確な判断からくる、決断能力の欠落の結果だろうと思います。

  その上、金融の自由化というもう一つの波も来ています、これなどはもっと激しい情報戦になるでしょう。国家間の為替の問題にしても一国の国家予算よりも大きな資本が作用し、その差益を持っていってしまうわけです。株取引においても同じような事が言えるでしょう、利益のあがる物だけを狙い打つ事が出来る時代なのです。

  太平洋戦争も昭和18年の終わり頃だったと記憶していますが、南太平洋において日米の航空母艦による航空機の戦いがおこなわれたのです。この時の作戦は飛行継続距離が日本の航空機が長かったのを利用して、先に日本軍が仕掛けたのです。しかしながらこの時からアメリカ軍にレーダーが完備されており、日本の航空機はことごとく補足された結果、アメリカ軍の戦闘機が待機している所に侵入する事となり、みるも無残に打ち落とされたわけです。

  これが事実上の最後の決戦だったと思います。その後の戦いは戦死した方には大変申し訳ありませんが、敗戦と言う形を作るための儀式だったようにも思えるのです。ですからそれは悲惨な戦いが続くわけです、昭和20年に入ってからはB29という爆撃機による、当時としてはかなり正確な爆撃がレーダーによっておこなわれたわけです。

  この時代までは経済というものの戦いの最終決戦は、軍隊という物によるところの戦争という事になったのだろうと思います、ですから始まりは全て経済なのです。平たく言えば人間の慾という事になってしまうのでしょう、ただこの慾というものの表現方法と行動の仕方が変わってきているに過ぎないのです。

  昔は鉄砲、今は金融、ということに戦いの方法が変わってきたのだと思うのです。そしてその原点は情報である事は昔も今も変わりません、ただその行動範囲がより広がりかつ迅速になっているのです。IT社会という時代ではいつ何時どこが攻撃されるかわかりません、その上コンピューターウイルスとやらがいつ進入し、どんな罠がかけられるかもわかりません、まさに狙い打ちの時代です。

  通常の経済行為が日本人には向いていないとは言いながらも何とか蓄えた資本という物も、一瞬の攻撃により水泡と化する事も十分に考えられる時代なのです。何度も言ってきましたがこの様な事柄への対応能力は、大変に苦手な農耕民族であるのが日本人です、経済の地盤沈下はますます進むのではないかと思う次第です。

  今日も株価が13000円を一時割ったとテレビが伝えていました。じりじりと真綿で首をしめられる如く日本の経済が弱まっていくような気がしてなりません、だからと言ってそれに対応する知恵などというものは、私の頭では考えられませんが、経済が弱くなってしまった結果起きてくるであろう、日本の社会現象の想像は何となくつくような気がします。

 


戻る