女子高生のミニスカートに一言

 女子高生からメールがきました,私のHPを読んだと言うのです。女子高生と会話したのは子供が高校生の頃ですから,もう10年も前になります。当然のことながら当時の高校生とはまるで違うでしょうし,はてどのようなメールを差し上げたらいいのかと戸惑いながらも,メール交換が始まったわけです。

 でも幸いな事に青春談義でした、人間関係に悩んでいると言うのです。ほっとしながらも彼女の相談事を聞きながら,私なりの意見を言ってあげたわけです。何回かのメールのやり取りの末やっと「おじさんさすがだね,55年生きるという事の知恵はすごいものだね,ありがとう」の言葉を得たわけです。

 長年,女子高生に尋ねたいと思いながらその機会が無く,聞きあぐねていた事があるのです、やはりミニスカートです。とうとう思い切ってメールを送りました。「中年のおじさんにとっては女子高生のミニスカートぐらい気になるものは無い,もう少し長くするとか何とかならないものですか?」と。

 返事のメールです「高校の制服という規制された事柄の中で,おしゃれをするという事になると,スカートをミニに以外に方法がないのですよ。やっぱりおしゃれはしたいではないですか」。この返事に心から納得しました,そうか若い女性からおしゃれ心を奪う事は何をさて置いても出来ない相談だなあと。

 私の生活範囲の中に高校があり,多くの女子高生が行動しているのです。その上、結構高いビルも建っているので強風が吹くのです、その強風がミニスカートにいたずらをするではないですか、目のやり場に困る事があるわけです。知らん顔する事の難しさを感じずにはいられません、大変な修行になっていました。

 しかしこの修行は、進歩の跡が見られず,心の動揺を隠す事は至難の技でした。首を向けないまでも,視線だけはどうしてもいってしまうようで,その意志の薄弱な事といったら我ながら情けなく程です。内心、田代まさし(いつも名前を出してすみません)とどれだけの差があるのかという思いすらしないでもない感があるのです。

 でもこの女子高生からのメールで何か縛られていたものが解けた感がありました。ミニがおしゃれだと言うならば,そのおしゃれを堂々と見て賛美してあげようではないかと。こそこそする事なく,堂々と視線を送り美しいと賛美してあげる事こそが,ミニのおしゃれに対する最高の行為なのだと。

 ビル風がミニスカートにいたずらしても堂々と視線を送り、いたずらが今一歩と言う時も美しいものを見損なったと素直に残念がる心をあらわにし,残念と叫ぶぐらいの気持ちで日々を送る勇気が湧いてきたような気がしたのです。ただ美しいという感動でなければならないという事でしょう。

 そして女子高生にメールを送ったのです「おしゃれ心という事がすごく納得できた,その代わりおしゃれとは美しい事の裏返しなのだから、おじさんはその美しいミニスカートを堂々と拝見することにするよ。そしてビル風がミニにいたずらした時も、もう少しでもっと美しいものが見られたのに残念と、はっきりと顔に表現すとことにするよ、ただしあくまで美しいものとしての行為である事だけはこだわるよ」と。

 女子高生からの返事のメールに「ワーハハハ、、おっしゃれ・・おじさんすてき!!」でした。又何か若さを頂き若返ったような気分がします。これからも当分楽しいメール交換が続きそうです。

 京都の祇園という所に舞妓さんという存在が昔からあるではないですか、この舞妓さんの年齢は1617歳で20歳近くになれば引退するのが当然との話です。という事は女性の美しさのピークはこの年の頃だという事でしょう、長年にわたり美しさというものを追求した結果でしょうから。これは日本古来の文化だと思うのです。

 男性の目が1617歳の女子高生のミニスカートに目がいくのは当然なのだと思います。何せ歴史が証明しているわけですから。これからもよりいっそうのおしゃれを楽しまれる事を願ってやみません。


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