バブル経済と言うけれど

 もはやバブル経済という言葉も死語に近いかもしれません、もうそろそろ15年近くも前に良く使われた言葉かもしれません。しかしバブル経済と言う言葉もはなはだ感情的に使われた言葉のような気がしてなりません、経済とはもともと生産量で決まるもののはずですが,そこに人間の色んな思惑が入り複雑にするわけです。

 たとえば洋服のことを考えてください、体に衣服をまとった最初の動機は寒さ対策でしょう。もともと人は気候の良い暖かい所に住んでいたはずですから、衣服をまとう必要性は無かったはずです。当然の事ながら裸同然で豊かな自然と上手に対応しながら、豊富は食べ物の中でのんびりと暮らしていたはずです。

 しかしながら、環境が良いと言うことは人口の増加という事につながるわけです。その増加という事から争いごとが起きてくるわけです、それが人の流れにつながるのでしょう。人の住む条件も次第に悪化の一途をたどっていったのだろうと思います,そこに寒さに対する対策として衣服をまとったのでしょう。

 環境のよい所では必要でなかった事柄も悪化した事により、経済的要素の中に組み込まれたわけです衣服として。最初は防寒の目的であった物もオシャレという要素が加わる事により、なお一層の需要が見込まれるようになったわけです。いわゆる経済が膨らんだわけです,この延長上に色んなサービスという行為が生まれるわけです。

 人にとって本当に必要な経済とはなんでしょうか?生物が生きるという事の基本は「食べて、眠って、そして子孫を残す事」になるのかもしれません。要するに生きるための最小限度の経済活動は、これらの事を満たす行為に他ならないのではないでしょうか?これが経済の原点だと思います。

 ようはこれらのものから外れ、この回りで活動しているものは、すべて経済を膨らましているものに過ぎないという事です。すなわち経済のバブルと言っても過言では無いと思います。すなわち人類が食料と言う大きな問題からほぼ開放された結果(部分的には問題があると思いますが)、でてきたゆとりの経済だと思います。

 人は食べ物に不足を感じた時はどのような価値観も生まれないでしょう、空腹というものの前にはどのような理論も及ばないと思います。ところがこれが解決するとなぜか次の問題を作るのです、きっと人の心の中に優越感というものが存在し、これを満たそうとする、すなわち差別をしようとするのだと思います。

 食べ物という次元では優位さというものは表にはそれ程現れません。しかしながら衣服という事になりますと、反対にその優位さを競う格好の的になりやすいわけです、何せ一目見てその違いがわかるわけですから。結果、ファッションという事になり、流行というものが生まれ競い合う結果になったのだと思います。

 人は皆その優位さを求めているのです、そこに経済が生まれるのです。その優位さの表現として表れていくのが、洋服の次が電化製品であったり、自動車などにつながっていくわけです。この時点で日本経済は大変に好調で日本の一人勝ちのような世界経済でした、当然日本にお金が集まったわけです。

 集まったお金はどこかにプールされるわけです、その表れの代表的なものが土地というものでした。土地の値上がりというものに端的にでたのです、もちろんこれだけではありません、色々なものに影響したのですが、何せ極端に値上がりしたために目立ち過ぎたのであろうと思います。

 土地をもっている者と持っていない者の優位さが大きくなったのは事実です。しかしながら日本全国民が土地の値上がりの恩恵を受け、大変に潤った事も又事実なのです。ただその潤いにかなりの差が出てしまったのも事実でした、そこに人間の嫉妬心が大きく生まれたのだと思います。

 結果、土地という物が大変な悪者にされてしまいました、攻撃の的にされてしまったのです。経済の原則から外れ、お金があっても土地が買えないような仕組みを強制的に作りあげられてしまったのです。さあ困ったのはお金です、資本というものはけしてじっとはしていません、とうとう外国に逃げ出し外国の土地を買いだしたのです。

 話をそらして例として面白い話をしましょう。中国から発生したと言われるマージャンというゲームがありますが、これは大変にユニークな要素をたくさん含んだゲームだと思います。なんと言っても下手でも上手をやっつける事が出来る数少ないゲームの一つだという事です、もちろん長期戦になれが実力の差が明らかになりますが。

 こんなエピソードがあります。昔の中国の大金持ちが夫人にマージャンをさせていたと言うのです、当然の事ながら奥さんは何人もいたのでしょう、その奥さん方に賭けマージャンをさせていたと言うのです、誰が勝っても負けても家の中からお金が出て行かず、家の中で回っているだけだと言うのです。私がこの話を聞いた時言葉が出ませんでした。

 たとえば話です。この家の主人が、自分だけ働いて(マージャンが出来なくてでも良いです)奥さん達は遊んでいるのはけしからんと言って、マージャンを禁止したとします。その結果、奥さん達は我慢できず隠れては出かけて行き、外で賭けマージャンをする事になるでしょう、当然バラバラになりプロを相手に行うわけですからかなうはずがありません、主人が気がついた時は大変な金額の借金になり、家が傾いてしまったとしたら。

 日本の土地はそのような感じのものなのです。日本の中で土地に対する投資が優秀な人でも、世界の中ではひとたまりも無いのでしょう、ことごとく失敗に終わったようです。持ち出したお金だけでは足りずに多額の負債も背負ったようです、結果日本にお金が無くなったのです、当然日本経済は火の車になってしまいました。

 事の発端は人間の嫉妬なのです。女の嫉妬は恐ろしいと言いますが、嫉妬の恐ろしさは女に限った事ではなさそうです。土地をもっている者への嫉妬から、土地規制が始まり経済の原則から外れてしまったのです。結果全ての豊かさを失ってしまったような気がします、原因を考えるとほんの些細な事なのです。

 土地が値上がりした時、マスコミは感情的にこれを批判しました、土地投機はいけないと。太平洋戦争前は駆逐米英と言い、潜水艦の事故では沈んだ船を引き上げろと言い、外務省の機密費を問題だと言っていることは、全て感情から来ている事のような気がしてなりません、もっと冷静になって考える必要があるのではないでしょうか。


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