天ぷら屋のおやじ

 昭和40年代まで続いたと記憶しているのですが、集団就職という現象があったのです。中学を卒業して都会に就職する地方の子供達が、団体で列車に乗って上京してきたのです、そしてそれぞれがそれぞれの就職先にわかれて行くわけです。主に東北の子供達が多く、その時期の上野駅の風物詩であったように記憶しています。

 その天ぷら屋のおやじもその中の一人でした。新潟の貧しい家の生まれだったと本人は言っています、学校の勉強は嫌いで当然の事ながら成績もはなはだ悪かったと言うのも本人の弁です。

 彼は東京の青山にある天ぷら屋さんに小僧として住み込んだわけです。当時は今と違って地方と都会の格差は激しく、地方出身の人達は劣等感にさいなまれ萎縮してしまう事も多く、都会という環境に慣れるのは今では想像できない程の苦悩を背負ったものなのです。私も地方出身なので十分に味わった経験があるのです。

 15歳で就職し、30歳の頃までその店で修行したわけです。その頃の事を私は知りません、ですが想像はつくような気がします。ともかくその店からさほど離れていない神宮前という所に自らの店を構えたのです、これはだけでも大変な事であろうと思います。ところがそれだけではありません、40歳の頃土地ごとその建物を買ってしまったのです。

 4階建てのさほど大きな建物ではありませんが、中学を卒業し集団就職で上京した若者のうちで何人もの人が、東京のビルのオーナーになっているでしょうか?私はおやじに言うのです「ナショナル電気を起こした松下幸之助の次に偉い」と。学校の勉強とは無縁の世界で起こした大変な偉業だと私は思うのです。

 そんなおやじも、先日年を聞いたら49才との事です。天ぷらと戦ってそろそろ35年にならんとするわけです。その間子供を一人もうけました、男の子ですがまだ9才との事です。結婚して10数年子供が出来なかったようです、ですからその可愛がり様は言わずともわかろうというものです。まあわんぱく坊主である事は間違いありません。

 一年ほど前の事だと記憶しているのですが、おやじが坊主の事を勉強しないと嘆くのです。私がおやじに言いました「おやじ勉強が出来たのか?」と、おやじが言うには「まるで出来なかったけど、でも学校に行っている間ぐらいは勉強して欲しいと思ってさ、それに高校ぐらい出てないと困ると思って」と言うのです。

 その頃、たまたま坊主が店にきているときに私が言ったのです。「坊主、勉強は嫌いか?」坊主「うん」、私「そうか、嫌いなら勉強なんてしなくとも良いぞ」。これを聞いて坊主の目が輝く事、当然でしょうが常に勉強しろと言われ続けている中で、勉強しなくても良いという言葉は、何よりも嬉しい言葉であったに違いないのです。

 私は言葉を続けます、「勉強はしなくても良いが、学校には行かなくてはいかんぞ。どうしてか分かるか?」坊主、けげんそうに首をかしげます。私「それはな、人間は一人では生きていけないからだよ。豹のように一匹で生きていけたら問題は無いのだが、猿と同じように集団でしか生きていけない動物なのだ、だから集団の生き方を憶えるのだ」

 私の言葉が続く「人に迷惑をかけない事を学ぶのだ、人に迷惑をかけると言う事は、社会から自分が迷惑を受けると言う事なのだ、人の嫌がる事をやったら、その人達から嫌われ無視されるだろう、そしてそれが多くなる事が社会から自分が迷惑を受ける事になるのだ、とにかくお客さんに嫌われたら天ぷら屋が出来ないだろう」

 坊主はわかったかどうかわからない顔をしていましたが「勉強をしなくて良い」と言う言葉が嬉しくて私の言葉を聞いていたのでしょう「とにかく勉強がわからなくても黙って机に座っていろ、そして人に迷惑をかけるな、それが学校の修行だ」勉強の話はそれで終わったのですが、坊主は私の事が気に入ったらしく、離れようとしません。

 私もちょっとお酒が入っていましたので8才の坊主に口を滑らしました、「勉強よりも男にとって大切なものがある、坊主、なんだかわかるか?」首を傾げる坊主、「それはな、女に持てることだ、男は女にもてなくてはいかん、」目を輝かせながらどうしたらいいのという表情をする坊主、「日本一の天ぷらを揚げる事だ、そうしたら女にもてるぞ、」

 私の言葉が続きます「なんだ、坊主、好きな子がいるんだな」、困った顔をする坊主、「そうかおじさんいい事教えてあげようか、好きな子に向かってな。○○ちゃん僕は日本一の天ぷらを揚げられる様になって○○ちゃんを幸せにする。と、そう言えば良いんだよ、だけど一生懸命に言うんだぞ、必死になって言うんだぞ」。

 ますます熱をおびて話す私「一生懸命と言うのはな、簡単には言ってはいけないと言う事なんだ、○○ちゃんのことが頭から離れなくなって、夜も眠れないくらいになって初めて口にする事なんだ、自分の気持ちがどうにもならなくなるまで男は我慢して辛抱する事が大切なんだ、そういう事が男が女を好きになるという事なんだ」

 8才の子供にどれだけ通じたかわかりませんが、でも目を輝かせて聞き入っていた事だけは間違いありません、もう十分に男としての感性は持っているのです。そしてこう言う事が性教育なのだと思っています。まさに男と女の人生哲学を教えるのが性教育だと思っています、体の違いなどを教える必要などまったく感じません。

 つい先日、お店でおやじの天ぷらを揚げる側で、目を輝かせながら坊主が立っているではありませんか、職人の世界はこれで良いと思うのです。おやじは息子に天ぷら屋を継がせたく無いと言います、同じ職業では子供の欠点が見えて仕方が無いのでしょう、違う職業であれば欠点も見えず、口出しの仕様が無い気楽さがあるわけです。

 しかしこれは、親の我ままであると思うのです。子供から見れば一番慣れ親しんだ世界です、知らず知らずのうちに身に付く感性があると思うのです。歌舞伎役者には歌舞伎役者の子供しかなれないと言います、それは環境が大変に大事だと言う事でしょう。子供から見れば親の職業を継ぐことが一番楽なわけです。(もちろん例外もありますが)

 私は「学校教育とは無縁の世界が大変に大切である」と言う事を言いたいのです。長年にわたり築かれて来た生活の知恵がいたるところに有る訳です、その知恵があると言う事を前提にして、学校教育というものがある様に思うのです。その学校教育が基礎の部分の知恵を崩壊しつつあるのが現状のような気がするのです。

 建物一つにしても職人がいなくては建たないのです。どんなに優秀な設計者がいても、どんなに多くに資材があっても、又豊富な資金があったとしても、最終的には職人がいなくては建物を建てる事は出来ないのです。農業にしても、林業にしても同じであろうと思います。昔から伝わってきたやり方あってこそその修正が役だつというものです。

 着物、陶器、塗り物、等の製品も同じような気がしてなりません。職人として一つの技術を身に付けるまで最低10年の歳月が必要な気がします、それもかなりきつい修行としての10年でしょう。人間の生活の中で長年にわたって養われてきた生活の知恵であると同時に、生きるための戦いでもあったわけです、大変な苦痛を伴った戦いであったわけです。

 合理主義の本に人間は楽な生活の追及をし続けました。基本的にそれ自体は間違っているとは思いません、ですが楽と言う事も行き過ぎてしまい、修行と言う部分の排除につながってしまったように思うのです。大きな視点で見れば学問をするという事も修行の一つかも知れません、正確には価値観の偏りと言った方が良いのかも知れません。

 学校教育という事も最初は学問と教育というものが並行して行なわれていたと思うのですが、いつの頃からか学問一辺倒になり、偏差値という言葉も生まれ、それに受験産業とやらが加わり、はなはだ偏った学校のあり方に移って行ったように思うのです。これもバブルといわれた経済の急激な拡大が原因しているのかもしれません。

 その経済も破綻し、ますます不景気さに拍車がかかっている現状です。失ったのはお金だけでなく、心も貧しくなったように思えます。生きるために作り上げて来た職人というなの生活の知恵が結果的に崩壊しつつあるように思います、これを立て直さないかぎり日本経済が景気良くなることは無いと思っているのです。

 ほんの少しの設計者と多くの職人がいて、初めて建物は建つのです。これが生活の、すなわち経済の基本だと思うのです。学校という名の学問の場が、価値観の偏向を生んでしまったのでしょう。設計者だけを経済的に優遇する現象を作り上げてしまったようです、結果、設計者が多くなってしまい、設計者も不遇になってしまうのです。

 人の生活というものは学問では解決できない部分の方が大きいと言う事を改めて認識すべき時期にきている様に思います。学問とは食べ物にたとえれば調味料のような物でしょう。素材すなわち、農業や漁業にたずさわるプロ、すなわち職人の存在があってこそ成り立つと言うものです、食卓に調味料だけを並べられても困るというものでしょう。

 でも現実には温室で簡易に育てられた野菜を食べ、養魚場で育てられた魚を食べている現在では、自然界で育ったような本来の野菜の味はきつ過ぎて口にあわなくなっていると言うのが現状かも知れません。特に外食産業が盛んになってから育った若者の味覚は、大きく変化しているでしょうし、食文化も変化していくのかも知れません。

 その時代に合った職人が生まれて来るのかも知れません。全ての面で変革期である今の時期は、新たな職人を作り出す生みの苦しみの時期なのかも知れません。天ぷら屋の坊主を見ていると、天ぷらだけはうまい物が食べられそうな豊かな気持ちになれるのです。

 


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