男の多様化に思う(幸福感かな?)

 時々タクシーに乗るのですが(とは言っても千円そこそこの距離です)、わずかな時間でも必ず話をするのです。先日の運転手の方はかなりの高齢の方と思ったのです、世間話の後、私の方が年上かも知れないと言うのです。髪の毛は薄く、残っている髪の毛も長髪にしていましたが真っ白で、70代後半と言ってもいいぐらいの風貌なのです。

 私はビックリして自分の年を言いましたところ、私よりも2歳年上だというのです。きっとおどいた表情を私はしていたのだと思います、運転手さんの身の上話が始まったわけです。数年前に自分の会社を倒産させたと言うのです、結果家族(奥さんは出て行ったとの事です)を失い、おまけに髪の毛までなくしてしまったと言うではないですか。

 彼は30歳の時に19才の女性と結婚したというのです。自ら会社を興し、経済的には大変に羽振りが良かったとの事です、きっと若い綺麗な女性と結ばれたのでしょう。30歳の男と19歳の女にとって、その環境が永遠に続くと思ったに違いありません、特に19歳の女性は経済の破綻などという事は考えも及ばなかった事と思います。

 考えてみれば女性も不幸な事です。結婚も大きな意味で契約の一つでしょう、ですから男の職業が問題になるのだと思います。公務員が人気だそうですが、女性から見て安定感のある職業で、落ち着いた生活を求める女性からは人気が出るのは当然のような気はします。定年まで勤めてくれるものと思っていたのが、突然転職したらやはり怒るでしょう。

 そういった意味で19歳の女性にとっては、経済的豊かさが結婚の条件の一つでしたでしょうから、それを失うという事は契約違反なのかも知れません。女性の側からみれば、11歳も年上のオジンと何で結婚するのよ、お金の切れ目が縁の切れ目よ、という事になるのかも知れません。それぞれの求める価値観ですからわかるような気もします。

 タクシーを降りるころになって、それでは今はお一人で生活しているのですか?と訪ねますと、頭をカキながら、昔一緒に暮らしていた女性と住んでいると言うのです。離婚経験者なのか、それとも単に長い期間一緒に暮らしていただけなのか聞きしびれましたが、それでも何か人生の深みを感じずにはいられませんでした。

 ここからは単に私の想像でしかありません。離婚と言う事にしても長い間の同棲にしてもこの運転手さんは誠実な方なのだろうと思うのです。きっと別れ際が良いのであろうと思うのです、別れた女性にも誠実に接し、出来うるかぎりの事をしてあげたのであろうと思うのです、あるいは心配し連絡をとっていたのかも知れません。

 仕事をしていても最後の最後まで頑張ったのであろうと思うのです。従業員の生活を考え、なんとか立て直そうと最後の最後までふんばった結果、髪の毛まで失う事となったような気がするのです。全ての事柄を自分の身に一身に受け、孤軍奮闘するような性格なのであろうと思うのです。であるが故に、発つ鳥後を濁さずでもあろうと思うのです。

 運転手さんはこうも言いました。「もっと早く会社を閉めてタクシーの運転手になればよかった。今は天国です、お金の心配もしなくて良いし、働きたいだけ働けば良い、こんな楽な生活は無いと」。外のタクシーの運転手さんに大変に怒られる言葉かも知れませんが、お金に追われた事のある経営者にはわかってもらえる言葉であると思います。

 現在一緒に生活している女性は、若いときに一緒に苦労をしてくれた人に違いありません。会社を興し、あるいは興そうと奮闘している時、影で支えてくれた女性であろうと思うのです。風貌もけして良いとはいえないような気がします。きっと貧しさの中でこそ、その能力を発揮するような女性なのではないかと想像するわけです。

 過去の有名人の中でけして表に出てこなかった奥さんの代表格は、田中角栄元首相の奥さん、現外務大臣の田中真紀子さんのお母さんではないかと思います。けしてマスコミの前には現れる事無く、晴れの舞台には登場する事はけしてありませんでした。私もお顔は存じません、知っている方はかなりの通の方か地元の方であろうと思います。

 田中角栄元首相は立身出世の代表格の人でしょう。それだけにその年齢年齢において色んな生活があったであろう事は想像に容易いと思います。適材適所とは言いますが、その環境の変化の激しい人ほど、その人間関係の難しい事はありません。立身出世であればあるほど、周りの人の苦労も並々ならぬものがあったに違いありません。

 多くの場合、自分の対場の変化に伴い人間関係も変わって行くものでしょう。夫婦であってもお互いに共に成長しその環境に合った人間になって行くと言う事は大変に難しい事のような気がしてなりません。人には知らず知らずのうちにおのずとその役割というものが生まれて来るような気がしてなりません、自分の思いとは関係無く生まれるようです。

若い時は一般的にその変化は激しく、恋愛と言う関係になりながらも、その変化に適応できずに別れて行くと言う事は多いはずです。若いときはより感性の方に重きをおくでしょうし、年齢と共に人生観というかそれぞれの価値観が変化する所から、生活の基盤にずれを生じてくる事は当然にして起こる事であるからです。

その変化がある程度高齢になっても続くと言う事なのです。ここに男の多様化が生まれると思うのです。一般的に男の基本に経済力は必要条件の上位に位置するものでしょう、年齢が増すにつれ経済力の差が大きくなるわけです、10代まではさほど差はつかないと思います。しいて言うならばその環境の方が強く表れると思います。

そして高齢になっても変化(成長といった方が的確かも知れません)し続ける者は加速度的に少なくなっていくものでしょう。当然ながら男の価値観も変化していくわけです。又反面、途中で挫折していく男もいる訳です。そこでも又価値観の変化が起き、生き方にも変化が生じてくるわけです。でも変わらないものが一つあるような気がします。

それは人への接し方のような気がします。常にまわりの人を大切にしながらも、自分の環境の変化のために接する人を変えていく者と、心くばりをする事無く変えていく者がいる様に思います。男の仕事特に事業や経営の浮き沈みは世の常です、今日は他人の身明日は我身です。いつ自分にも失敗の烙印を押されるかも知れません。

成功も失敗も紙一重のような気がします。と同時に幸せと言う次元も紙一重のような気がします。心の安らぎというものに幸せの標準をあてれば、先ほどのタクシーの運転手さんがあてはまるような気がします。良くぞ会社を倒産させたと言う事になるのだろうと思うのです、そして早く倒産させればよかったと言う言葉が出てくるのであろうと思います。

彼の人生でもっとも素適だったことは、常にまわりの人を大切にしてきたと言う事であろうと思います。当然のことながら彼の心の中での事です、外から見れば当然の事として色々と非難された事もあったと思います。でも大切なことは自分自身の心の問題なのです、自分の心に満足があれば後で安らぎが生まれて来るように思うのです。

結果、今は経済的にはけして豊かとはいえない状態でも、その環境にあった女性と暮らしながら、心豊かな日々を送っている様に思えてなりません。50数年間の人生の中で色んな時間帯を過ごされたに違いありません、そしてその時の時間帯に合った人々と接したに違いないのです。まさに適材適所という人を得ている様に思うのです。

男の幸せというものはこういうものかも知れないと思う次第です。その時その時を懸命に生きながら、その時の価値観で行動し、それに見合った人々と接しながら、自分の幸福観を追及していく。そしてその原点は「人を大切にする心」を持ちつづける事のような気がしてならないのです。


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