母性愛という言葉への疑問

 本来生命体とは、まずその生命体自体の保身を何よりもまず優遇し、子孫の伝承は二次的な事と考える方が妥当なのではないでしょうか。まずは命あってのものだねという言葉がある様に、いざとなったらありとあらゆるものを排除し、生きるという事にこだわると考えるのが妥当というものでしょう。人間とて例外とはどうしても思えないのです。

 最近とみに、母親が自ら我が子を殺してしまう事が、マスコミに取り上げられるようで、一個人の特別な状況とは思えないふしを感ずるのです。良く連鎖反応と言いますが、基本的には多くの人間が潜在的に持っているものが、表に現れるきっかけになるに過ぎないと思うのです。我が子を殺す気持ちも多くの人が持っているものだと思うのです。

 人は元来集団で生活しほとんどの行動が共同作業であったわけです。子育てとて例外ではなかったと思います、その集団の子孫として大切に育てられたはずです。当然のことながら子供を産んだ女性と産めなかった女性では、その集団の中で立場の優位さは歴然としていたでしょう。子を産むという行為が身を守る最大の要素となったはずです。

 人類が地球上に発生した時代に近づけば近づくほど、子供を産むという行為は命がけの大変な事柄であったはずです。当然その行為に対する生活の中での待遇も大きなものがあったはずです。多分どの男の子孫を宿すかという選択も女性に与えられていた、女系家族であったでしょうし、女性優位の社会ではなかったかと思うのです。

 結果、母親は子供と言うものを産み大切に育てる事を、何の思考をする事無く受け入れて来たのであろうと思うのです。ところが近年この原則が崩れかけてきている様に思えてなりません、それどころか逆に女の幸せというものに対してはマイナスに作用していようにさえ感ずるのです。子連れの女の、女としての価値の低下は否定できないでしょう。

 ここにも過去人類が長年かかって築き上げた英知が崩れかかってきているように思えてなりません。人は自らの生活を豊かにする事と並行して、優秀な子孫を残そうとする行為が相まって、人類の繁栄が築けて来たはずなのです。それは一個人の力なり発想では築けない、集団の英知が築け上げた社会システムであったと思うのです。

 その母親としての絶対的優位さというものが無くなってしまったどころか、マイナスとして作用している現在、小子化の流れはますます加速されるような気がしてなりません。母性愛と言う言葉にたよって道徳論を振りかざす事の無意味さは今さら言うまでもありません、母親としての優位さをシステムとしてつくり上げるべきです。

 生きると言う事はそれ程簡単なことではありません。ですが集団でしか生きていけなかった人類が、その集団に帰属しながらも一人でもなんとか生きていける現実が生まれた以上、男も女も子孫を残す事無くその生涯を終わる人が多くなると思います。それはそれで認めても良いと思いますが、それではその帰属している社会が成り立ちません。

その集団に帰属して生きるという事の義務に、子孫を残すという事が5割近くを占めるのではないかと思うのです。人は権利と称しながら色々な形でその集団に迷惑をかけているわけです、迷惑を掛け合いながら生きていくのが人間でしょうから、それはそれで良いと思います。が、義務という部分での考慮も十分にすべきではないかと思うのです。

その辺の現実をふまえながら、母親として子供という子孫をもうけて国家という集団に貢献した女性に対しては具体的に生き易い環境を与えるべきです、子供を産んだことが有利になる経済的システムを作り上げるべきでしょう。現実には生きるという戦いには、経済的裏付け必要である事は疑う余地の無い事実でしょうから。

生きると言う事、すなわち食べ物を手に入れると言う事に、昔は腕力というものが絶対的な優位さというものを生じさせていたでしょうから、男女間の差というものはいかんとも仕方の無い事であったろうと思います。ですか、現代においてはその優位さは完全に失われたと言って良いと思います、まさしく平等になったでしょう。

逆に子孫を残すという点に置いて男性の方が不利な時代と言って良いでしょう。女性は常に優秀な男性を選ぼうとする本能があります、男女間に置いて何らの規制を設けずに選びあう事ができるとしたら、男の不利は明白でしょう。女性に認められた数人の男性の以外は、無視された男の山ができるに違いありません。

どのように男が抵抗しようとこれからの社会は女性優位型となり、女性に認められるべく必死の男の努力が続くに違いありません。その反面男同士が助け合うとか又別の社会ルールが生まれて来るとは思いますが、問題はいかにして子孫を残しその社会(国家)を継続させていくかと言う事でしょう。それぞれが静かに死んで行くために。

女性も男性に養ってもらおうと言う発想が薄くなって行くでしょう、自らの力で生き子を育てようとするに違いありません。この大変な行為に対して社会からの褒美が無いのです、子供を産んでも生まなくとも同じでは、子供を産み育てる女性が少なくなろうと言うものです。子供は可愛いという感情論や道徳論では所詮無理というものです。

私は母親の所得税を軽減してあげたら良いと思います。税率は子供の出生率を見ながら決めたら良いのです、たとえば一人産んだ人は20%減、二人産んだ人は30%減、三人以上産んだ人は40%減、といった風にしてあげるのはどうでしょうか?この際結婚しているとか、していないとか問題では無いと思います、女性一律で良いのではないですか?

年間1000万の収入の男性がいたとして、税率が40%としましょう、そうすると年間400万の税金を納めるわけです。子供を2人産んだ女性を当てはめてみましょう、30%減ですから、税率は28%となり納税額は280万となり、手元には720万のお金が残るわけです。逆に600万のお金を残すためにはやく833万程の収入で良いのです。

日本の場合は累進課税ですから金額が大きくなればなるほどこの優位さは大きくなります。お金もちはほとんどが女性と言う事になるかも知れません、まあそのときは軽減の税率を上手く運用すれば良いのですが。ですが子供を産み育てた女性にはこう言った現実的なご褒美を上げるべきでしょう、その上で道徳論を論ずべきだと思います。

女性が社会で働き男性が家庭に入り炊事洗濯をするという、今までの社会通念と逆なパターンも増えるでしょうし、子育てしながら男性の家政夫さんを雇うという女性も多くなるような気がします。そして生物学的にはより妥当な生き方のような気がしてなりません。


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