参議院選挙(2001.7.29)に想う

 最近書いた文章に、日本はリーダーのはなはだ出にくい国であると言い、小泉純一郎現首相のことを話題とし(その時は首相になるとは1%も思っていませんでした、すみません)、日本の民主主義の低さを嘆いたのはつい最近の事です。森前首相の退陣からの世の中の変化を描く事はまるで出来ませんでした。が、当然の流れなのかと思うようになりました。

 私ごとき者が世の行き詰まりを感じ、変えなくては大変な事になると感じると言う事は、多くの人が同じ思いをし、そのきっかけを待ち望んでいたに違いありません。ふと父の言葉をいま思い出しました、父は40代にわずか25千ばかりの小さな町でしたが、そこで3回ほど選挙に自ら出たことがあるのです、12年間町会議員を勤めました。

 「選挙民というのはバカなようで、大変に利口なものだ、けしてあなどってはいかん」こんな言葉をはいた父も80代半ば、今は俗世間から離れろうろうと時を過ごしています。この12年間の間に、自らの選挙だけでなく、衆議院参議院の国政選挙、県会議員の選挙とどれだけの数の選挙にかかわった事でしょう。(詳しくはわかりません)

 国政選挙の時などはその末端の組織として動くわけでしょうから、逆に第一線として肌に感ずるものも激しかったに違いないのです。最前線の小隊長みたいなものでしょうから、自ら手を汚した事もあったに違いありません、選挙というものの裏の裏まで知り尽くし泥まみれになって戦ったに違いないのです。中央とは又別のものでしょう。

 国民が皆行き詰まりを感じ、変革を望んでいる時に、たまたまきっかけになってくれたのが小泉首相のような気がするのです。もちろん誰でも良いと言っているわけでは有りません、国民が夢を感ずる人でなければ動かない事は言うまでもありません。夢を懸けられる人を待ち望んでいたように思うのです、そんな人が現れたわけです。

 国民が怒涛のように流れていったのもうなずける気がするのです。支持率が80パーセントを越え90パーセントに迫らんとする事自体異常と言わざるおう得ない事柄でしょう。しかし一番に戸惑い思惑の念を抱いているのは本人達、すなわち小泉純一郎首相であり田中真紀子外務大臣ではないかと思えてなりません。

 森前首相が退陣し自民党総裁選が行なわれた時、田中真紀子外務大臣に背中を押されて小泉純一郎首相が出馬した事は周知の事実ですし、その本人もまさか本当に総裁になれるとは思わず、将来の布石のために立候補したのも周知の事実でしょう。ところがこのまさかが起こってしまい、一番うろたえたのは当の本人ではないでしょうか?

 首相はかなり昔から行政改革を唱え続けて来ました、以前少しではありますが私も首相の事を文にした事が有ります。ですが現実には明らかな構想を組み立てて、現実的な行動をしようとしていたとは到底思えません。時期はまだ早いと自ら思い数年先を考えながら、今回は立ち上がったように思えてなりません。

 政治家もマスコミも一様に、選挙民を「あなどった」が故に起こった事のような気がしてなりません。今の痛みをこらえても将来に望みを託すなどという事を、国民が選ぶはずは無いと考えていたに違いないのです。今まで歩んで来た道からそれるという発想は無かったのでは無いでしょうか、まさしく「あなどった」のです。(すみません、私も同じです)

 小泉首相の支持者も、行政改革ができるという人が40%、できないという人が40%、と半々に別れるようです。できるという人の中には、して欲しいという願望が多く含まれているような気がしてなりません、多くの方が出来ないだろうと思っているに違いないのです。小泉首相の能力ではなく、一筋縄ではいかない事を皆が知っているからでしょう。

 過去にも多くの首相が行政改革を唱えました。出来るか出来ないかはともかく、本気で行動する意気込みを国民には感じなかったのであろうと思うのです。ところが小泉首相にはその意気込みを感じ、怒涛の流れになったわけです。結果はともかくその情熱を感じ、流れになったように思うのです、渇望していたのかも知れません。

 過去に改革を唱えていた多くの首相が偽りで言っていたとは思いません。ただ言いながらもその大変さを思い浮かべ、単に歯切れが悪かっただけだと思うのです。熟慮するがゆえの躊躇が、国民からの支持を得ることが出来なかった原因のような気がしないでもありません。でもその難しさは国民全てが周知の事実だったのでしょう。

 とてつもない難問にぶつかるのだという情熱を感じたのであろうと思うのです。この難問にいどむにはこの情熱しかないと多くの国民が感じた結果であろうと思うのです。結果を求めたのではなく、その情熱を感じたと言った方が的確である様に思うのです。理屈を言っても人は動かないけど、意気に感じて行動した例は過去に幾つもあります。

 とにかく日本丸の舵はきられたと思います、再び後戻りすることは無いでしょう。少なくとも本州と四国を結ぶ橋を増やすとか、東京湾を横断する橋をもう一本増やそうとか、人のいない所に高速道路を作ろうとか、そう言った無駄をする事だけでも無くなったろうと思うのです。それだけでも小泉首相の功績は大変なものではないですか。

 又一方で、舛添要一氏が158万票も獲得した事も選挙民のするどさを表している様に思います。彼はこの数年間介護という問題に自ら触れたようです。詳しい内容は知りませんが現場に触れたという事が、彼の視野を大きくしたように思えてなりません。元々大変に学識優秀な方ですから、現場の心を得る事による思考の広がりは大変に大きいと思います。

 長いこと水俣病の裁判に弁護士として取り組み、今は不良債権の整理に奮闘している○○弁護士は現場を良く知る事と言い、刑事は事件現場を100回調べると言います。私の考えでは現場とは職人の心だと思います、物を作り上げていく人々の心に通じるものがあると思うのです。看護と言う行為も作り上げていく心と何ら変わらないでしょう。

 この現場とのふれあいを継続的に続けながら、心の広がりを求め思考の広がりを求め続ければ、元来国際感覚に優れた優秀な方ですから、将来日本のリーダーになる資格を十分に持ちあわせた方でしょう。この方の将来性を感じて選んだ国民の感覚にも大変なものがあると思います。これは理屈ではない選挙民の臭覚とでも言った方が的確かも知れません、まさに「あなどってはいかん」という事になるような気がするのです。

 とにかく舵はきられました、この方向性が何よりも大切なのです。後は急ぐ事無くゆっくりと進めば良いのです、急げば革命になり血を流す事になるではありませんか。 


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