総理の椅子

 人生は椅子取りゲームである、そんな言葉をどこかで聞いたような気がします。会社であれ、役所であれ、自分の置かれた立場の長を目指し、階段のように置かれた椅子を一つずつ昇り続けるのかも知れません。政治家を心座したからには、総理大臣の椅子を目指し、全ての者が行動するものなのでしょう。政治の目的意識とは別に。

私は組織に属したのは、大学の医局にいた3年と、ある企業の厚生施設として作られた診療所に勤務した2年のみですから、分からない世界です。歯科医としては一開業医として、今は又、ささやかな事業家として、まさに一匹狼として(いや犬かな?)、孤軍奮闘している訳です。判断を一つ間違えればそこは地獄という事かも知れません。

 そう言った意味では、行商して生計を立てている意識と何ら変わりなく、人を頼る事無く自分の感性を信じて、人の求める物を提供しようと行動しているのかも知れません。まあ組織作りに向かない人間のようです、いや組織の中に入れない男と言った方が的確のような気もします。どちらにしても椅子取りゲームから弾きだされた男なのです。

 椅子に座ろうという意識が無い反面、座り心地の良さと言うものも知らないわけですから、岡目八目で好きな言葉を並べられるというものでしょう。まあ冷静に見られるという一面もあるというものです。多くの場合、トップの椅子に座ったとたんに、その椅子にしがみ付き、いかに長く座り続けるかに執着してしまうものの様でもあります。

 去年の参議院選挙のついて書いた時、小泉現総理について多少書きました。10数年昔から行政改革を彼は唱えていました、今回とて唱える事に特別な変化は無く同じ事を言い、まさか総理になれるとも思わずに、将来の布石として行動したのであろうと。そしてその結果に、一番戸惑っているのは本人では無いかと。

 最初は本気で行政改革に取り組んだのであろうと思います。しかし残念ながら、総裁選に本気で取り組んだわけでは無く、単なるパホーマンスであった為の、準備不足の綻びはすぐに表れたのでしょう。やがて椅子に長く座る事に意識は流れて言ったのであろうと思います、何時の間にか自民党を潰してもという破棄を感じなくなりました。

 彼の強さは、椅子にしがみ付く事無く、何をするか分からない、と言うところにあった訳です。本気で自民党を壊すかも知れない、と言う所に他の自民党議員(皆総理に成りたい訳ですから)の恐怖があった訳です。それが椅子にしがみ付いたのでは、なーんだ、俺たちと何ら変わりないただの男ではないか。という事になってしまったのです。

 最早、何を言っても相手にされていないのが現状でしょう。自民党内では次の総裁になるためのしのぎを削っている最中でしょう、その結果が出るまでの小泉氏の命であろうと思います、が長ければ長いほど経済は悪化するでしょう。しかし次の総裁に成りたい人はそんな事はかまわずに、結果が出るまで戦い続けるでしょう。

 シナリオは最悪のようです。小泉さん、早くやめなさい。離婚した奥さんを泣かし、田中真紀子を泣かし、その上多くの国民を泣かすのですか?早く引退し、独身なのですから、女性を可愛がりなさい。そして喜びの涙を流させなさい。


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