国家予算が80数兆円で国債が30兆円

 日本の今年の国家予算が80数兆円だそうです。ところが税収が足らず国債を30兆円発行するとの事です、その国債も必死になって少なくしての話でしょう、景気が悪いからと、その刺激策として、もっと大型の予算を組もうとすれば国債を5060兆円ぐらい平気で発行するかも知れません。その事の良し悪しは別問題にして。

 その上、国債の総残高は国家予算の10年分だそうです。ところがその国家予算の中身が問題です、現実の税収は50数兆円と言う事ですから、単純計算しても16年分となるわけです。借金(国債)には金利というものが付きまといます、これも計算に入れますと、おそらく返済不可能で国債が増え続けると数字が表れるでしょう。

 一言で言ってしまえば、今の日本は未来を消費しながら今を生きていると言えるかも知れません、いやそう言い切ってもいいでしょう。我々は我々の子孫の労働に頼って今を生きていると言える訳です、それでいながら若者に注意をしたり、文句を言ったりしているのです。ずうずうしさにも程があると言われるかも知れません。

 もっと不思議な事に外国に援助をしている額が世界で一番大きいはずです(ひよっとすると勘違いかも知れません、でもかなりの金額です)。もはや借金で身動きの取れないはずの国家が、借金を増やしながらも援助すると言う図式が何故出来上がってしまったのか、と言う事です。原因は日本の政治形態にあり、日本特有の民主主義なのかも知れません。

 政治にもお金がかかります、どのくらいかかるのか具体的な金額は知りません。ですが議員の報酬だけでは議員活動が出来ないと言う事だけは、全ての国民が認める明白な事実でしょう。本来、民主主義とは国民一人一人がお金を出し合って運営するものなのかも知れません。ですが現実は個人献金している人は皆無に近いでしょう。

 日本の民主主義は国民の中から湧き出たものでは無く、戦争に負けた結果による、外圧で作られたものなのです。意識としての政治基盤ははなはだ薄いと言わざるおう得ないのかも知れません。結果、政治というものにお金が流れるのが、税金の流れをくむ公共事業と言う事になるのかも知れないのです。政治献金として。

 政治を動かすのに必要なお金を得るために、税収がどうであろうと公共事業という名の土木事業をやり続けなくてはならない図式が出来上がったのかも知れないのです。外国への援助と言う事も突き詰めれば土木事業です、国内であろうと外国であろうと、政治家にとって同じ事なのかも知れないのです。(国民にとっては大変な違いがあるのですが)

 自分の懐具合がどうであれ、人の面倒をみると言う事は愉快な事です。一度その愉快さを味わうとなかなかやめやれないのも、又人なのかも知れません。日本国もジャパニーズ、アズ、ナンバーワンと言われた時代があります、確かに援助すべき時代もあったと言う事です。ですが現実の日本はまるで反対でしょう、過去の栄光と思うべきです。

 日本の国債の評価は下がる一方です。日本は世界同時不況の引き金になりかねないと、先日アメリカから指摘を受けています。身近な年金問題にも繋がる事です、一人一人に大変な影響を与える事でもあるのです。それともドルで生活しますか?円を捨てて。


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