二度目の開国かも知れない

 「散切り頭をたたいて見れば文明開化の音がする」こんな言葉を聞かされました。子供の頃の学校教育では、明治に入ってからは近代と言われ、遅れた文明を取り戻すべく行動した良き時代と教えられました。それに比べ江戸時代は士農工商と言う身分制度があり、人の命を軽んじられた悪い時代だと教えられたような記憶があります。

 現代の日本は明治政府の流れですから、明治政府をたたえ江戸幕府を悪く言うのは当然かも知れませんが、一般的な国民の立場から見て本当にそうでしょうか?私は疑問をいだかざるを得ないのです。世界の歴史としての流れで見ればやもう得ないのかも知れませんが、一個人の生活を通して見ると違った答えが出るような気がするのです。

 「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉がありました。この言葉の裏には負けてしまった徳川軍に対する思いが含まれていると思うのです、きっと一般庶民は徳川軍に勝たせたかったのではないかと思うのです。その心は過去の生活を懐かしんでの事でしょう、江戸時代の庶民の生活は明治に比べて良かったとの思いがあるのかも知れません。

 もちろん、人は一般的に過去への哀愁は良い形で残るものです、過ぎてしまえば苦労も良い思いでとして残るものである事も認めます。ですが子供の頃学校で教えられたほど江戸時代と言うものは悪くは無く、平和で暮らし易い時代であったように思えてなりません。現政府が一つ前の政府を悪く言うのも、又やもう得ない事なのかも知れませんが?

 徳川の中期の二百年は大きなトラブルもなく大変に平和な時代であったと思うのです。時期は忘れてしまいましたが、当時百姓一揆と言われた大塩平八郎の事件が大きく取り上げられていたように思います、これとて人数で見ればわずかなもので、昭和期の学生運動や成田の騒動とは比べ物にならない程の、小さな事件と言えるのではないでしょうか?

 それに比べ明治に入ってからは戦争の連続で、徳川を倒し会津から函館と転戦し、終結させた後も、西郷隆盛による西南戦争と戦いが続くのです。そして日清戦争から日露戦争、第一次世界大戦から第二次世界大戦と続いた訳です。まさに戦争の連続だったわけです、これも国家と言う世界の事情から見れば仕方の無い事なのかも知れませんが。

 しかし、一個人としてみた場合、どちらが生活し易かったかと問われれば一目瞭然だと思うのです。きっと明治の一般国民にも同じ感情があり、それが「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言う言葉を生んだと思うのです。開国とは変革期の事で、一般国民は生活システムの変化で混乱を余儀なくされるものなのかも知れません。

 我々庶民の生活というものはその時代時代の社会システムの中で、それなりに溶け込んで生きて行くものでしょう。太平洋戦争中は鉄砲をかついで歩かされた訳です、そのシステムから外れる事は許されません。その戦いの後は又別の価値観の中で生きて来ました、でもそれは日本特有の、戦う事を否定するような特別な価値観であったように思うのです。

 「日本の常識は世界の非常識」と言われて来ました。その常識とは意識の中で鎖国をしてこられたからのような気がしてなりません、もはやそれも許されない時代が来ていると言う事でしょう。今までとは違った荒波が待ち構えている様に思えてならないのです。


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