政治のルールも交通ルールも同じだな!

 法事国家と言いながらも日本ほど不思議な国は無いと思います。法律というものを100%守って生きるという事が大変に難しい国なのです。道路交通法というものに制限速度というものがあります。車には免許証というものが必要ですが(乗り物は自転車を除けは全てかも知れません)、この規則を破っている人はほとんど無いと言って良いでしょう。

 所が、制限速度となりますと話はまるで別になるのです。今までに一度もこの規則に反する事をした事が無いと言うドライバーはいるでしょうか?今度も又、皆無となってしまうでしょう。それでは日本国民の知的レベルが低いために法律(規則)というものを守る事が出来ないのでしょうか?これも又断固否定できる事柄でしょう。

 基本は守る事が不可能な規則であるからだと断定します。無免許運転の人が皆無(違反をする人は皆無と言って良い程度の比率でしょう)である様に、速度というものを全てのドライバーが守って運転をしたら、たちまち渋滞し交通が混乱する事は目に見えています。結果、経済にも大変な影響を与え、生活の混乱を招く事は明らかです。

 別な言い方をすれば、日本国民の知的レベルの高さから、守るべき法律とそこそこに守れば良い法律とを、自ら区別をして生きている様に思うのです。この辺の規則というものに対応する行動様式は古くは江戸時代から、あるいはもっとさかのぼって、生活習慣として我々の生き方の中に生まれてきたものなのかも知れません。

 ですが、基本的には国民の全てがどこかで規則を破っている事になり、厳密な意味ではどこかで罪を犯している事になってしまう訳です。そこに後ろ暗さが生まれ国家(あるいは時の支配者)に服従する意識が生まれて来たのでは無いかと思うのです、簡単に言えばたたけばホコリのでる体にされていると言う事になる訳です。

 ある意味では監視するには大変に楽な方法とも言えます。時の権力者が自分の意にそわない者を、罪人に仕立てるには最も都合の良いシステムである事は間違いないでしょう、全てが目こぼしの中で生活を営む事になる訳ですから。「長いものには巻かれろ」などという言葉の発祥もこの辺が原因しているのかも知れません。

 今の日本の選挙制度もまさに交通ルールと同様なのだと言い切ります。選挙戦と言うものを、100%法に触れる事無く営む事はほぼ不可能に近いと言う事は、国民の全てが認める事だと思います。政治献金としての政治資金の流れとて、同じようなものだと、又国民の全てが認めている事でしょう。これが適当に監視の役目をしているのかも知れません。

 スピード違反で捕まった時、その人は単に運が悪かったと思い、その事を聞いた人も同情の気持しか生まれないという現実がある訳です。特に15キロオーバーで捕まったなどとなれば、捕まえた方に非難が来る訳です。25キロぐらいですとしょうがないかな、と納得し、それ以上となって、初めて非難の対象になるというのが現実のようです。

 今国会で問題にしている政治献金にしても、多かれ少なかれひも付きである事でしょう。金額が多すぎて目こぼしできないと言う国民の怒りなのでしょうか?個人献金をほとんどしない状態で、政治家にどのような行動を、国民は求めようと言うのでしょうか?


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