二十一世紀の国、中国

 「豊かになれる者から、豊かになれば良い」これは中国の前々回のリーダー、ケ小平の言った言葉です。この時から経済は資本主義の形へと流れ、いまや激流となった様です。先日の上海の旅で感じた見事なまでの都市造りを見て、新たな国家の形態を感じずにはいられませんでした。まさに無駄の少なさに驚きがあったのです。

 元々、中国はロシアと異なり自由主義と言いますか、資本主義の形態の経験をしており、イギリスやその他の国による侵略を受ける前は経済的には大変に豊かな国であり、インドと並んで世界の中心として長く君臨していた国ですから、再び豊かな大国になる事には何の不思議は無いのですが、その急変振りには驚かざるおう得なかったのです。

 20世紀は簡単に言えば戦いの戦国時代であったと思います。これはまさに男の時代であり、主義主張のイデオロギーの時代であったのでしょう。我々の青春時代は共産主義をとなえる方を、より進んだ文化人であると言う風潮があった事は事実です。私もアメリカよりのソビエトの方がより進んだ社会と思いこんだ時代もあったのです。

 共産主義国家というものが北のロシアに根付き、南下し、中国、北朝鮮、ベトナム、と進んで行ったのも面白い現象のような気がします。思想とは生活により厳しい環境に生まれやすい、男社会の理屈のような気もします。が、現代社会は最早、イデオロギーの崩壊と言っても過言では無のかも知れません。

 女の時代と言われる現在、理屈ではなく現実的な食べ物、すなわち経済で動く時代なのでしょう。ソビエトが崩壊した時、その女性の感覚を察知し、共産主義という国家体制だけは残し、その中に資本というものを取り入れ、新たな国造りに、ものの見事に成功したそのリーダーとしての先見性と指導力には感心するばかりです。

 ですがその段階で、イデオロギーとしての共産主義は放棄してしまい、競争原理を取り入れたまさに合理主義の社会に成った様です。最初はゆっくりだったその流れもかなり速くなり、ますます加速されて行くのは明らかです。それは人が本来求める「生活の豊かさと安定」という姿に、単にそうた形であったのかも知れません。

 「豊かさ」というものも又やっかいなものなのです。人は十分に食事をし、満腹になれば豊かなのかと言えば、どうもそうでは無いようなのです。きっと相対的に他人と比較して「優越感」を感じた時が最も「豊かさ」を味わえるという現実が、我々凡人にはあるようなのです。それが前進するエネルギーになるというもの又現実でしょう。

 しかしながら「食べる」という行為のエネルギーに勝るものも無いのが現実で、中国での多くの貧しい民が食べるためだけに経済活動にたずさわっているのも又事実です。この「食べる」ためのエネルギーがまだ十数億も存在しているという事です。このエネルギーと経済という次元で日本は戦わなくてはならないのも又事実なのです。

 経済活動に労働コストというものが付きまとう事は言うまでもありません、そのコストを技術革新でカバーすると言ってもおのずと限界がある様です。その上、世界は大きく見て平和です、平和という事は人の交流が激しくなるという事です。安い労働力がいくらでも流入するという事です、東京でも一時多くありました。

 七、八年前でしょうか、原宿駅の側の代々木公園に日曜祭日に出かけますと、多くの外国人を見かけ、ここはニューヨークかと間違えるほどの国際都市になったような錯覚さえ感じた事がありました。経済的に栄えればその地に多くの人が流れてくるのは当然の現象なのでしょう、そしてそれを受け入れさえすれば経済は発展して行くものだと思います。

 ただし、経済は発展しても治安の問題、あるいは生活文化の問題と日々の生活を行なう上での歪みが生じて来るのは当然の事なのでしょう。結局はその国の民が何を受け入れ何を拒否するかという事の選択でしか無いのだと思います。日本人は異民族を拒否し、異文化の受け入れを拒否したように思います。流れが速すぎたのかも知れません。

 結果、安い労働力は無くなった様です。今度は企業の方から安い労働力を求めて出て行ったのです、日本にはサービス産業だけが残るという現象が起きたのです、一次産業の農業や漁業とて衰退する一方でしょう。経済の空洞化という現象が起き、税収の減少という現実を、国債の発行という借金政策で先延ばししているに過ぎません。

 それに引き換え中国は異種民族国家です、どれだけの民族が存在するのかさえ分からないぐらい多いと思います。中国人民共和国という国家は、最早、国と言うよりはヨーロッパのような一つの大陸と考え、E Cのような経済の連合体が、将来国境を取り除いて、一つの国家となったような姿を考えたら妥当のような気がします。

 ヨーロッパの将来の姿が今の中国にあるのかも知れません。ですから上海のような都市では異種民族が混在するのは当然の事として受け入れているのです。今の上海は東京に負けません、いや最早上海の方が進んでいるかも知れません。その上安い労働力がいくらでも流入し、又受け入れているのです。これが歴史の長さなのかも知れません。

 アメリカ合衆国のニューヨークとは違った経過で都市造りをして来たわけですが、異民族を受け入れ多くの異文化の混在する都市になって行く事は間違いないように思います。と言うよりも、共産主義国家になる前は大変な国際都市であり、異文化の宝庫であったのかも知れません。上海は単に元に戻ったのかも知れないのです。

 「上海」は将来、「ニューヨーク」と並んで世界の二大都市に成るような気がします。世界経済の中心都市に成るでしょう、北京があり、南京がある、そして東の都としてトンキンならぬ東京があるような気がしてならないのです。

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