シリコンバレー

 アメリカのコンピューター業界の中心地である、今やアメリカ経済の心臓部と言っても過言では無いかも知れないと思えるのがシリコンバレーであろう。そのシリコンバレーが2002年の秋までは閑古鳥が鳴くような不景気であり、倒産寸前の企業が多くみられた、と報道があった。フセインを倒すイラク戦争の約6ヶ月前のことです。

 それが秋以降に突然に仕事量が増え活気付いたと言うのですから、作為的な行為を感じずにはいられないのです。これは私の想像でしかありませんが、いまやコンピューターというものは軍事産業の基本であり、アメリカ軍にとって倒産させてはならない産業の一つになっているのではないかと思うのです。特に爆弾にとって。

 飛行機やその他の製品には当然耐用年数というものがあります、特に戦争という行為が行なわれなくとも、企業的に生産して行く計画が立てられるものと思います。ところが爆弾だけは常に保存という行為が付きまとう訳です、練習などで実弾が使われる事があるとしても、それはきっとまれな行為でしょう。その上耐用年数もあるでしょう。

 爆弾も常に新兵器に交換しなくてはならないのも現実でしょう、その兵器の進歩の加速度も加わり、古い爆弾の処分という問題を抱えだしているのでは、と思うのです。単に解体という事になれば、その量からみて大変なお金がかかる事でしょう。最も合理的な処分というのが戦争という事に成るのではないでしょうか?

 シリコンバレーの不況という次元から、アメリカはどうしてもイラクでの戦争、すなわち爆弾処理と言うものを行なわなくては成らない現状にあったのではないかと思うのです。ミサイルとか核兵器とか、色々と問題をイラクに突きつけていましたが、戦いが終わっても一向に発見出来ずにいますし、何時の間にかそんな報道もされなくなりました。

 軍事産業を育成する必要上、定期的な戦いがアメリカにとって必要だという事かも知れません。「治安」という「平和」には最も必要な行為のための軍隊という事になるのでしょうが、その軍隊を維持するために、定期的に戦争という行為が必要という皮肉が起きているように思えてなりません。究極の必要悪という事になるのでしょうね。

 最も、日本のように「平和憲法」がある「戦争はしないのだ」と言っていれば事が足りるという意識もありません、まあ極端から極端へという話しに成るのでしょうね。その極端な者同士だからこそ、手に手をとって仲良くという図式に成ると言うより、日本がべったりと寄り添って甘えていると捉えた方が妥当かも知れません。

 私自身の生活はまさに平和という基盤があるからこそ成り立つ経済の上に立っています、別な言い方をすれば、アメリカの軍事力に守られて営まれている事業と言えるでしょう。平和という基盤がなくとも生きていける、と言い切れる人がはたして何パーセントいるか?という次元のような気もしますが。

 生きるための戦いという現実の前に、どんな理論もむなしくなります。どのような行為も正当化されてしまう理論立てが恐ろしくもあります。所詮、経済とはその様なものなのかと思ってしまう自分が恐ろしくもあります。           15531


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