プロとは?アマとは?

 先日、ある劇団の公演を見てきた。音楽というもので身を立てようとしている若者が知り合いの中にいる、まだ学生だが志だけは大きい。そんな若者を見ると応援したくなるのは私の常である。その若者が音楽を担当し、それがはじめてのCDとなり、劇のバックに流れる音楽となったから、生の演奏ではないが、ぜひ私に来いと言うのである。

 その劇団に対する知識は何も無い、にもかかわらずプロの役者を目指す人の集まりと早合点してしまうのも私らしい。呼んだ若者がプロを目指しているので、その仲間と言う事で、プロと決めてしまう早合点が私らしいとも言えるのだが。結果的には、プロを目指す集団では無く、若手の会社員や学生が趣味で行なっている集団であった。

 プロと思い込んでいた私はかなり痛烈な批判をメールしてしまった。人類愛をテーマにした脚本であったが、そのテーマに溺れ脚本もいまいちだが、その演技力たるや中学校の学芸会を思い起こさせる出来栄えであり、お金をもらって見せられるものでは無いと感じたのです。正直に言えばかなりの時間を眠っていたようです。

 紹介した若者によると、人間的にはかなり優秀な人の集まりのようだ。一般的に優秀というと知的レベルが高いと言う事のようである、当然の事としてテーマに主体が行き、思想の表現が中心になりやすいのは、若者の傾向として当然であろう。そこから出発して、脚本、演技力と少しずつ向上して行くものかも知れない。

 現代は、まずは頭脳を作ると言う事から始まる様である、とにかく頭でっかちなのである。思想を表現する事に重点がおかれ、それで満足してしまう傾向にあるようだ。素人と言われる人達によりその傾向がみられるのは当然かも知れない、己の知的満足をいかに満たせるかを中心に行動している様に思えるからだ。

 プロとは、あくまで第三者に感動を与える事や喜ばせる事に全力を注ぐ、そのために陰でどれだけの修行を積むか計り知れない。アマはどこまで行っても自分が楽しむ事が先のように思えてならない。その結果、第三者も巻き込んで楽しませてしまうと言う事は有るにしても、その出発点はどこまで行っても自分が先のように思えるのである。

 その点から行くと私の文章などは所詮素人の文章だ。とにかく自分が一番楽しんでいる、第三者がどのように感じるか?などと言う事は、二の次三の次である。文章を書く事で快感を得ている、その上その感度は今のところ増す一方だ、これが趣味の楽しさと言う事になるのであろう。テニスにも同じ事が言えそうだ、お金を使う楽しさかも知れない。

 私は今、賃貸業を仕事としている、これは確かにプロだ。賃貸業とは基本的に土地のプロデューサーだ、この土地をどのように生かすかを考えるのが仕事である。そして建てた建物によってどれだけ楽しんでもらえるかで、お金を頂いているのである。当然、土地の値段、建物のコスト等を組み合わせて経営し利益を追求するのである。

 プロとは第三者を楽しませた事への「報酬」と言う事になるのかも知れない。楽しませると言う事もおくが深い、涙を流させる感動から、心から笑わせるもの、これも追及すればきりの無い世界なのだろうと思う。                15618


戻る